平成期の社会保障改革を振り返る-少子高齢化と財政悪化が進んだ30年間の変化を追う
平成期の社会保障改革を振り返る-少子高齢化と財政悪化が進んだ30年間の変化を追う: ■要旨
2018年も大晦日まで残り10日を切った。2019年(平成31年)5月には新元号に切り替わるため、平成で迎える最後の年の瀬になる。本レポートでは、1989年(平成元年)1月に始まった「平成」の30年を社会保障という切り口で振り返る。
具体的には、少子化の進展や高齢者人口の増加といった人口動態を振り返った上で、GDPの伸びを上回って年金、医療、介護などの社会保障費が増加したことを取り上げる。さらに、国の財政事情が悪化したことで社会保障制度の制約条件が増した点、その対策として消費税を社会保障に充てる考えが浮上した経緯や制度改正の動向、給付削減が図られた医療や年金における制度改正の経緯、高齢者福祉や子ども・子育て支援など新しい課題に対応した点などを考察する。その上で、こうした改革を進める際、首相官邸による主導性が強まった点なども振り返ることで、約30年間の変化を追う。
■目次
1――はじめに~平成という時代を社会保障で振り返る~
2――人口の変動
1|高齢化率の上昇
2|少子化の定着――「1.57ショック」で始まった平成
3――社会保障費の増加
4――財政状況の悪化
5――消費税の導入、引き上げと社会保障の関係
1|「長寿・福祉社会の礎」と説明された消費税の導入
2|参院選大敗の一因と見なされた消費税
3|消費税の社会保障税化
4|政局に翻弄された消費税
6――社会保障制度改革の動向
1|医療分野における財政調整、自己負担の増加、在宅医療の充実
2|給付抑制を目指した年金改革
3|高齢者福祉における介護保険制度の創設
4|子ども・子育て分野の充実
7――政策形成プロセスの変化
1|官邸主導への変化
2|諸刃の剣の側面を持つ官邸主導
8――おわりに~1――はじめに~平成という時代を社会保障で振り返る~
2018年も大晦日まで残り10日を切った。2019年(平成31年)5月には新元号に切り替わるため、平成で迎える最後の年の瀬になる。本レポートでは、1989年(平成元年)1月に始まった「平成」の30年を社会保障という切り口で振り返る。
具体的には、少子化の進展や高齢者人口の増加といった人口動態を振り返った上で、GDPの伸びを上回って年金、医療、介護などの社会保障費が増加したことを取り上げる。さらに、国の財政事情が悪化したことで社会保障制度の制約条件が増した点、その対策として消費税を社会保障に充てる考えが浮上した経緯や制度改正の動向、給付削減が図られた医療や年金における制度改正の経緯、高齢者福祉や子ども・子育て支援など新しい課題に対応した点などを考察する。その上で、こうした改革を進める際、首相官邸による主導性が強まった点なども振り返ることで、約30年間の変化を追う。
2――人口の変動
2――人口の変動
1|高齢化率の上昇
まず、平成期の人口変動を考える。2008年(平成20年)を境に人口減少局面に入ったが、総人口は僅かながら増加した。具体的には、1989年(平成元年)時点で1億2,320万5,000人だったのに対し、2017年(平成29年)時点で1億2,670万6,000人となり、300万人ほど増えた。
一方、図1の通りに65歳以上の高齢化率は平成の間、一貫して増加しており、1989年(平成元年)では11.6%だったが、平成29年(2017年)時点では27.7%までに伸びた。この理由の第1に、平均寿命の延伸が挙げられる。厚生労働省の「簡易生命表」によると、1989年(平成元年)の時点で男性75.91歳、女性81.77歳だった平均寿命は最新の2017年(平成29年)時点で男性81.09歳、女性87.26歳まで伸びた。この結果、同じ期間の65歳以上人口は1,430万9,000人から3,515万2,000人となり、約2.5倍に増えた。
しかし、人口の高齢化が進んだのは高齢者人口の増加や平均寿命の延伸だけが原因ではない。むしろ、少子化の方が平成という時代を特徴付ける事象と言えるかもしれない。以下、その動向を見ることとする。2|少子化の定着――「1.57ショック」で始まった平成
「出生数の減少は、我が国の将来にさまざまな問題を投げかけております。若い人々の子供を持つ意欲を積極的に支えていくことに日本の未来をかけて努力していかなければなりません。子供は世の宝であります。この宝を守り、健やかにたくましく育てていくことこそは、何にも増して大切な仕事であります。私は、これらのことを肝に銘じて、効果的な環境づくりを積極的に進めてまいります」――。これは1990年(平成2年)3月の衆院本会議における海部俊樹首相(肩書は当時、以下は全て同じ)の施政方針演説の一節である1。
今から考えると、当然の発言のように映るが、当時としては異例だった。その背景には合計特殊出生率(1人の女性が一生の間に産む子どもの平均数、以下は出生率と略)の低下に対する危機感があった。厚生省児童家庭局長だった古川貞二郎(後に内閣官房副長官)による回顧2。
その後、政府は後で述べる通りに様々な改革を打ち出したが、2005年(平成17年)に1.26まで低下した。最新のデータである2017年(平成29年)では1.43まで回復したとはいえ、平成の時代の始まりにショックを持って受け止められた「1.57」を上回ることは一度もなかった。この結果、1989年(平成元年)と2018年(平成30年)の出生数(子どもの数)を比べると、124万6,802人から92万1,000人に減少した。
このように見ると、平成という時代は平均寿命の延伸で高齢者が増加した一方、「少子化に対する危機感が示されたものの、人口が減少した時代」という評価が可能であろう。
では、こうした人口変動は社会保障にどのような影響を与えただろうか。この観点で平成という時代を振り返る。
1 1990年(平成2年)3月2日第118回国会衆院本会議における発言。
2 古川貞二郎(2015)『私の履歴書』日本経済新聞出版社P75。
3――社会保障費の増加
3――社会保障費の増加
高齢者人口が増えれば、年金・医療・介護の給付費は当然、増加する。国立社会保障・人口問題研究所の「社会保障費用統計」に従うと、平成期の社会保障費は図2の通りに右肩上がりで増加した。具体的には、1989年(平成元年)時点の社会保障費用(医療、年金、福祉その他の合計)は45兆554億円だったが、最新の2016年度(平成28年度)時点で116兆9,027億円に増えた。
一方、同じ期間にGDPは1.3倍しか増えていないため、社会保障給付費のGDP比は10.8%から21.7%に伸びた。この伸び率を分野別に見ると、「医療」が2.16倍、「年金」が2.43倍、高齢者福祉や生活保護など「福祉のその他」が4.84倍に増えている。
「福祉その他」の伸び率が大きい理由としては、(1)高齢者介護費の増加、(2)生活保護予算の増加、(3)障害者福祉や子ども・子育て支援に要する経費の増加――が考えられる。このうち、(1)については、社会保障費用統計に内訳が示されており、介護保険が創設された2000年度(平成12年度)以降、高齢者介護の費用は2016年度(平成28年度)までに2.9倍に増えた。(2)の生活保護については、社会保障費用統計に内訳が出ていないため、厚生労働省の資料で確認する3と、その総額は図3の通りに増えた。具体的には、1989年(平成元年)の1兆3,456億円に比べると、2017年(平成29年)の時点で3兆7,127億円にまで増加した。これは高齢化の進展や独居高齢者の増加、長引いた景気低迷、グローバル化の影響を受けた雇用不安など平成の時代に起きた社会経済の変化の影響と言える。生活保護については不正受給者の存在が喧伝されがちだが、受給者の半数近くが65歳以上高齢者であること、医療扶助が予算の半分を占めていることを踏まえると、高齢者や低所得者に対する医療・福祉の問題と不即不離の関係にあり、日本社会の構造的な問題が凝縮されていると言えるかもしれない。
(3)については、社会保障費用統計で内訳が示されておらず、平成期の変化を追える統計も見当たらないため、詳細を把握できないが、障害者福祉サービス関係予算額は2005年(平成17年)に4,312億円だったのに対し、2018年度(平成30年度)予算ベースで1兆3,810億円となり、10年余で約3倍に増加した。これは障害者総合支援法(旧障害者自立支援法)の施行など平成期に進んだ制度改革が影響しているとみられる。さらに子ども・子育て支援についても、後に触れる通りに制度の拡充が図られており、こうした制度改正が社会保障費用統計の「福祉その他」を増やす一因となったと見られる。
もちろん、社会保障費の増加自体は悪いこととは言えない。しかし、これらの増加分を税金や社会保険料で賄えておらず、国家財政の悪化を通じてツケが将来世代に回っている。以下、平成期の財政状況を見てみよう。
3 社会保障費用統計では生活保護の医療扶助が「医療」に組み込まれており、統計の区分が少し異なる点には留意する必要がある。
4――財政状況の悪化
4――財政状況の悪化
「先人達や、新たな時代そして更にその先の時代の子供達に、平成時代の財政運営をどのように申し開くことができるのだろうか」――。財政制度等審議会(財務相の諮問機関)が2018年(平成30年)11月に公表した建議(意見書)で、平成の30年間をこう振り返った4。
確かに平成期は財政悪化の時期とほぼ重なる。具体的には、バブル経済による税収の自然増の追い風を受け、1990年度(平成2年度)に特例国債(いわゆる赤字国債)の依存から脱却したものの、図4の通りに増減を繰り返しつつ、公債発行額と公債依存度は高止まりが続いている。そこで、平成期の財政政策を簡単に振り返ると、橋本龍太郎政権期の財政構造改革法、小泉純一郎政権期の歳出抑制など本格的な財政再建に取り組む時期があったのを除けば、景気回復と低金利頼みの財政運営が続いている。具体的には、1994年度(平成6年度)補正予算で特例国債の発行が再開した後、特例公債に頼る財政運営が恒常化。バブル経済崩壊後の景気対策や小渕恵三政権期の景気対策、リーマンショック後の景気対策、民主党政権期の財政規模の拡大などを経て、財政赤字と債務残高は拡大基調となった。近年は景気回復に伴う税収の増加で特例公債の発行額は減少基調だが、2018年度(平成30年度)予算時点でも特例公債の発行額は27兆5,982億円、建設国債を加味した公債依存度は34.5%となっている。その結果、国の債務残高は1989年度(平成元年度)の160兆9,100億円から増加し、2018年度(平成30年度)予算ベースで882兆7,525億円となった。同じ期間の国の債務残高GDP比も38.7%から156.4%に急上昇した。
深刻なのは国・地方の基礎的財政収支(プライマリー・バランス、PB)の赤字が続いている点であろう。PBとは、その年の政策的経費をその年の税収で賄えているかを見る指標であり、これが赤字だと債務は拡大する。このため、政府は2002年(平成14年)以降、PB黒字化の目標を繰り返し設定してきたが、2018年度(平成30年度)当初予算時点のPBは依然としてGDP比で9.0%の赤字である5。経済成長による税収の自然増が期待できる面があるとはいえ、PBの赤字が続いている状況とは、その年の政策的経費を税収で賄えていないことを意味しており、現在の世代が支払うべき負担を将来世代にツケ回しする状況が続いていることになる。
こうした制約の下、増加し続ける社会保障費の負担と給付のバランスを考える必要に迫られた政府は平成の間、様々な「改革」を進めた。具体的には、歳入増加策として消費税の導入と引き上げであり、その際には国民の反発を和らげるための方策として、「社会保障の財源として消費税が必要」といった形で消費税と社会保障の紐付けが意識された。
一方、歳出面では医療や年金の分野で給付抑制や国費の削減が志向されるとともに、高齢者福祉や子ども・子育て支援などの分野では給付の充実が図られた。以下、消費税の導入と引き上げ、社会保障制度改革との関係などについて、その動向を考察しよう。
4 2018年(平成30年)11月20日財政制度等審議会「平成31年度予算の編成等に関する建議」。
5 2018年(平成30年)7月9日経済財政諮問会議提出資料「中長期の経済財政に関する試算」。5――消費税の導入、引き上げと社会保障の関係6
1|「長寿・福祉社会の礎」と説明された消費税の導入
「この改革が、我が国経済社会の活力を維持し、豊かな長寿・福祉社会をつくる礎となるものと確信をいたしております。(略)新しい税制に対する国民の信頼を得るためには、この制度を円滑に実施に移していくことが不可欠であり、最大限の努力をしてまいりたいと決意いたしておるのであります」――。これは平成に元号が変わって1カ月を経た1989年(平成元年)2月の竹下登首相による所信表明演説の一節である7。
ここで言う「改革」とは消費税導入を含めた税制改革を指す。税制改革関連法は前年に成立しており、4月の実施に向けた準備を進めている段階だった。平成の世は消費税の導入とともにスタートしたのである。そして、竹下首相が「豊かな長寿・福祉社会」を挙げている通り、3%で導入された消費税の目的としては、直間比率(直接税と間接税の比率)や不公平税制の見直しなどとともに、高齢化に向けた安定的な財源確保の必要性も論じられていた8。この後、社会保障と消費税の関連性は制度改正を重ねる度、強化されていくことになる。
6 財政政策や消費税を巡る政治・行政の動向については、財務省財務総合政策研究所財政史室編(2017)『平成財政史 第1巻』白峰社、清水真人(2015)『財務省と政治』中公新書、同(2013)『消費税 政と官との「十年戦争」』新潮社、伊藤裕香子(2013)『消費税日記』プレジデント社、岸宣仁(1998)『税の攻防』文藝春秋などを参考にした。
7 1989年(平成元年)2月10日第114国会衆院本会議における発言。
8 実際、平成に改元される直前の1988年(昭和63年)4月に示された政府税制調査会の答申では高齢化社会の進展を見据える必要性に言及しており、答申を紹介する『朝日新聞』1988年4月29日は「旗印は不公平税是正」という見出しを付けた上で、「高齢化社会の財源も名分に」という解説を加えている。さらに小倉武一会長は竹下首相に対し、福祉目的など使途を限定するアイデアを披歴したという記述がある。2|参院選大敗の一因と見なされた消費税
まず、1989年(平成元年)4月にスタートした消費税は国民の反発を浴びることとなった。これを導入した竹下内閣は同年6月、リクルート事件などによる支持率低迷を受けて退陣。同年7月の参院選でも自民党は大敗を喫し、参議院で過半数を失った。敗因は消費税だけでなく、リクルート事件、宇野宗佑首相の女性スキャンダルなどもあったが、消費税が政治家にとってトラウマになった可能性を指摘できる。
その後も消費税は政局の焦点になる。選挙制度改革の混乱と自民党の分裂に端を発した解散総選挙の結果、非自民、非共産の連立政権による細川護熙内閣が1993年(平成5年)8月に成立。さらに、細川政権は懸案だった選挙制度改革を決着させた後、1994年(平成6年)2月に「国民福祉税」構想を公表した。これは消費税を福祉目的として3%から7%に引き上げるという内容だったが、連立与党内への説明が不十分だったとして、僅か1日で撤回を余儀なくされた。唐突な発表の裏側には大蔵省(当時)主計局の影響力が指摘されている。
さらに、目まぐるしい連立の組み換えや内閣交代を経て、消費税は1997年(平成9年)4月に3%から5%に引き上げられたが、その直後の1998年(平成10年)7月の参院選で自民党は再び大敗を喫した。敗因としては所得減税を巡る橋本首相の発言のブレに加えて、不良債権問題やアジア経済危機、山一證券や北海道拓殖銀行の破綻などの経済不況が影響したのは事実であり、景気低迷をもたらした一因として消費税も挙げられた。
その後、政局の安定化を図る自民党は小沢一郎に率いられた自由党、さらに公明党との連立に踏み切るが、年金などの税方式化を唱える自由党の主張に配慮し、1999年度(平成11年度)予算から消費税の使途(地方交付税分を除く)は福祉目的に充当することが予算総則で位置付けられ、消費税と社会保障の紐付けが強化されることになった。3|消費税の社会保障税化
そして、消費税を5%から10%に引き上げる際、国民の反発を緩和する一つの方策として、社会保障税化が明確に意識される。これを推進した一人は小泉内閣の経済財政担当相など務めた与謝野馨氏であり、その淵源は小泉政権にさかのぼる。当時、小泉首相は「消費税を任期中に上げない」としつつ、歳出改革を重視していたが、消費税の議論自体は否定していなかった。こうした中、与謝野氏が取り仕切っていた自民党財政改革研究会が2005年(平成17年)10月に示した報告書で、消費税の社会保障目的税化に言及した。これが消費税の社会保障化を制度的に明確に位置付けた現行制度に至る始まりとなる。
さらに、民主党が躍進した2007年(平成19年)7月の参院選を挟み、同年11月の報告書で自民党財政改革研究会は「消費税を国民に対する社会保障給付のための財源と位置づけ、その趣旨を明確にすべく、現行の消費税を社会保障税(仮称)に改組する」との考えを示した。そして同年12月に閣議決定された「持続可能な社会保障構築とその安定財源確保に向けた中期プログラム」では、消費税収について「確立・制度化した社会保障の費用に充てることにより、すべて国民に還元し、官の肥大化には使わない」として消費税の社会保障税化を掲げつつ、2011年度(平成23年度)に税制抜本改革を実施する旨が盛り込まれた。この方針は税制改革法の附則にも反映され、民主党政権期の議論に繋がる「布石」となった。
その後、2009年(平成21年)9月の政権交代を経て、消費増税と社会保障税化の議論は一度ストップするが、いくつかの曲折を経て野田佳彦政権の2012年(平成24年)8月、民主、自民、公明の賛成で税制改革法が成立した。これにより、2014年(平成26年)4月1日から8%、2015年(平成27年)10月1日から10%とすることが決まった。さらに引き上げによる増収分については、従来の予算総則で位置付けられていた年金、医療、介護の3分野に少子化対策・子育てを加えた「社会保障4経費」に使途を限定することとなり、その旨が法律で明記された。しかし、この後も消費税は政局に翻弄されることになる。4|政局に翻弄された消費税
2012年(平成24年)の総選挙を経て政権に返り咲いた安倍晋三首相は消費税を予定通りに5%から8%に引き上げたものの、8%から10%への再引き上げについて2017年(平成29年)4月まで先送りすることを決定。その判断について国民の信を問う名目で、2014年(平成26年)12月に総選挙が実施された。2016年(平成28年)6月には景気低迷リスクを回避するとして、2019年10月まで10%への引き上げを延期するとした。
さらに、2017年(平成29年)9月には「消費税の使い道を私は思い切って変えたい」と表明。消費税収を幼稚園・保育所の無償化などに充当することで、高齢者中心の社会保障から「全世代型」に切り替える考えを強調し、再び総選挙が実施された。
以上のように見ると、平成の始まりとともに誕生した消費税は「不幸な生い立ちをもち、政治的に時の政権を翻弄してきた経緯」9を経て、段階的に引き上げられてきた様子を理解できる10。その過程では国民の不満を和らげるため、制度創設時から社会保障に紐付けた説明がなされたこと、そして時を経るごとに関連性が強化された結果、社会保障税化や全世代型社会保障にまで繋がったことを理解できるであろう。それにもかかわらず、巨額な国・地方のPB赤字や債務残高を考えると、財政健全化に向けた道のりはなお遼遠であり、将来世代のツケ回しという課題は次の元号まで持ち越されることになる。
では、社会保障費の増加と財政の悪化が重なる中、平成期にはどのような社会保障制度改革が実施されたのだろうか。以下、紙幅の都合上、全てを網羅できないため、消費税収の使途が限定された4分野(医療、年金、介護、子ども・子育て)について、平成期の動向を考察する。
9 石弘光(2008)『税制改革の渦中にあって』岩波書店p124。
10 平成の時代に該当しないが、導入に至る前史として、大平正芳内閣が一般消費税、中曽根康弘内閣が売上税の導入に失敗していることも考慮する必要がある。
6――社会保障制度改革の動向
6――社会保障制度改革の動向
1|医療分野における財政調整、自己負担の増加、在宅医療の充実11
平成期の医療制度改革を総合すると、(1)被用者保険(健康保険組合など)からの財政調整の強化、(2)国民健康保険に関する都道府県の役割拡大、(3)窓口で支払う自己負担の増加、(4)在宅医療の充実――といった点に整理できるであろう。
このうち、(1)については、既に事実上の財政調整として老人保健制度12が創設されていたが、1990年度(平成2年度)から被用者保険の負担を増やす制度改正が実施された。具体的には、高齢者医療費の負担を各保険者に割り振る際、各保険者自身の老人医療費で按分する「医療費按分」と、どの保険者も同じ老人加入割合と見なして拠出金を調整する「加入者按分」を1:1としていたが、加入者按分率を1990年までに100%としたことで、相対的に健保組合の負担が増加した13。このため、健保連は「被用者保険の負担に転嫁する苦肉の策でしかない」と不満を強めた14ことで、老人保健制度の見直し論議が高まり、後期高齢者医療制度導入を含む2008年度(平成20年度)の制度改革に繋がった。しかし、この改正を経ても前期高齢者(65~74歳)の納付金15、後期高齢者(75歳以上)に対する支援金16を通じて健康保険組合の負担は増加し続けており、健康保険組合連合会は負担軽減や制度改革を求めている。
こうした制度改正が続いている背景としては、国の財政悪化と高齢化の進行が挙げられる。高齢者の増加に伴って高齢者医療費が増えたことで、高齢者が多く加入している国民健康保険の財政が悪化した。しかし、国の財政事情が悪い中、国民健康保険に対する国の税金投入が難しくなっているため、相対的に豊かな健康保険組合の負担を増やす制度改正が続いている。(2)の国民健康保険に関する都道府県の役割拡大については、(1)と同じ背景である。国の財政が厳しい中、国民健康保険の財政負担を軽減するため、小泉政権で実施された国・地方税財政の「三位一体改革」17などを経て、国の負担を肩代わりする形で都道府県の財政負担や役割を拡大させる制度改正が続けられた。その結果を示しているのが図5である。1989年度(平成元年度)の時点で国民医療費は19兆7,290億円だったが、2015年度(平成27年度)までに2.15倍の42兆3,644億円に増えた。その間、国の税負担は2.23倍、事業主の保険料負担が1.84倍、被保険者本人の保険料負担は1.89倍、患者負担などが2.11倍に増えたのに対し、自治体の税負担は4.21倍に増加している。このデータには都道府県、市町村の内訳を把握できない限界があるが、平成の時代には国民健康保険に関する国庫負担を減らす一方、2018年度(平成30年度)に財政運営を都道府県化するなど、都道府県の財政負担を拡大する改革が続けられたため、その影響と思われる。
(3)の自己負担増については、1997年度(平成9年度)に被用者保険に加入する被保険者本人の負担を1割から2割に、2003年度(平成15年度)に2割から3割に引き上げたことで、原則として3割負担で統一された。しかし、原則として70~74歳は2割、75歳以上は1割となっているため、その見直しが課題として残されている18。
(4)の在宅医療の充実については、昭和末期から徐々に始まっていたが、これが加速したのが平成期だった。具体的には、1992年(平成4年)の医療法改正を通じて「居宅」が医療提供の場に、1994年の健康保険法等改正で在宅医療が療養の給付として位置付けられた。さらに、1990年代前半の診療報酬改定を通じて、在宅医療に報酬が重点配分されるようになり、現在は外来、入院に続く第3の柱として見なされている。このように見ると、在宅医療の重視は平成期の医療政策の特徴の一つと言える。この背景には、自宅での看取りを望む国民の選択肢を増やす狙いに加えて、世界的に過剰な病床を削減するための受け皿として、在宅医療を整備する思惑がある19。
しかし、高齢者医療費を中心に医療費の増加は続いており、負担と給付のバランスをどう取るかという点については、次の年号まで持ち越されることとなった。
11 医療制度改革の動向については、吉原健二・和田勝(2008)『日本医療保険制度史』東洋経済新報社、菅沼隆ほか編著(2018)『戦後社会保障の証言』有斐閣などを参考にした。
12 老人保健制度は国民健康保険を事実上、救済するため、国・都道府県・市町村の税金に加えて、被用者保険からの保険料を充当するため、1983年2月にスタートした。
13 元厚生省官僚の吉原健二は「老人の加入者按分率を一挙に100(注:%)にまであげてしまったことが老人保健法の寿命を縮めたと思います」としている。菅沼隆ほか編著(2018)『戦後社会保障の証言』有斐閣pp189-190。
14 健康保険組合連合会編(1993)『健保連五十年の歩み』pp333-334。
15 前期高齢者納付金とは、高齢者の加入率が高い国民健康保険に対し、被用者保険が保険料を拠出する仕組み。
16 後期高齢者支援金とは、被用者保険や国民健康保険など74歳以下の国民が加入している保険者から後期高齢者医療制度に対し、保険料を拠出する仕組み。
17 三位一体改革とは自治体の財政自主権を拡大するため、(1)国庫補助金の廃止・縮減、(2)その浮いた国の税金の税源を地方に移譲、(3)地方交付税の見直し――を一体的に進める改革である。
18 例えば、2018年6月に閣議決定された「骨太方針2018」(経済財政運営と改革の基本方針2018)では、高齢者医療費の自己負担引き上げを「検討」すると定めている。
19 例えば、2013年8月の社会保障制度改革国民会議報告書は「急性期医療を中心に人的・物的資源を集中投入し、入院期間を減らして早期の家庭復帰・社会復帰を実現するとともに、受け皿となる地域の病床や在宅医療・在宅介護を充実させていく必要がある」との考えを示している。2|給付抑制を目指した年金改革20
高齢化の進行や財政悪化を踏まえて、年金財政の安定化策も講じられた。その最たる例が2004年度(平成16年度)の制度改正であり、(1)基礎年金の国庫負担を2009年度(平成21年度)に3分の1から2分の1に引き上げる、(2)5年ごとに財政検証を実施、(3)厚生年金と国民年金の保険料水準を固定、(4)収入の範囲内で年金給付額を調整する「マクロ経済スライド」の導入――などが実施された。
このうち、基礎年金国庫負担の引き上げについては、その財源として消費税が想定されていたため、民主党政権を含めて小泉政権の後の政権にとって悩みの種となったが、紆余曲折の末に2014年度(平成26年度)に実現した。
しかし、マクロ経済スライドは2015年度(平成27年度)に一度、実施されただけであり、財政バランスは現在も課題となっている。
20 年金制度改革を巡る動向については、矢野聡(2012)『日本公的年金政策史』ミネルヴァ書房などを参考にした。3|高齢者福祉における介護保険制度の創設21
平成期は高齢者福祉の充実が図られた時代だった。高齢者福祉サービスの充実を図る「高齢者保健福祉推進10カ年戦略」(ゴールドプラン)が1989年(平成元年)12月に策定されており、平成の始まりととともに高齢者福祉対策が強化されたと言える。
さらに、特筆すべきは2000年(平成12年)の介護保険制度の創設である。制度化の議論は1994年(平成6年)12月の高齢者介護・自立支援システム研究会の報告書を手始めに、厚生省(当時)を中心に議論が進み、その途中には1996年(平成8年)の厚生省事務次官による汚職事件、施行直前の保険料徴収の半年間凍結などの「事件」を挟みつつ、自治体主体による措置に代わる仕組みとして、社会保険方式によるサービスの充実が選択された。この背景には、医学的ニーズが少ないのに入院する「社会的入院」の解消を通じて、高齢者医療費の圧縮と国民健康保険の財政負担を軽減する目的があったほか、市町村を保険者(保険制度の運営主体)とする判断に際しては、別に進んでいた地方分権改革の影響も受けた。
その後、20年近い歳月を経る中で国民の間に定着したと言えるが、自己負担を含む総予算額は2000年度(平成12年度)の3兆6,273億円から2016年度(平成28年度)時点で9兆9,903億円に増加した。このため、近年は財政のバランスを取る必要に迫られており、介護予防の強化や自己負担の引き上げといった制度改正が進められている。
21 介護保険制度を巡る動向については、介護保険制度史研究会編(2016)『介護保険制度史』社会保険研究所などを参考にした。4|子ども・子育て分野の充実
平成という時代を振り返ると、子ども・子育て分野で給付の充実が図られた点も指摘できる。前半で触れた出生率の低下に対する危機感を背景に、1995年(平成7年)から「エンゼルプラン」、2000年(平成12年)4月から「新エンゼルプラン」がそれぞれスタートし、保育所の整備などが図られた。さらに、2004年(平成16年)4月には「少子化社会対策大綱」、民主党政権期の2010年(平成22年)1月に作られた「子ども・子育てビジョン」などを経て、先に触れた消費税を引き上げる際の使途として「子ども・子育て支援新制度」が創設され、幼稚園と保育所を一体化させた「認定こども園」の普及、地域の実情に応じて小規模保育などを進める「地域型保育給付」などが位置付けられた。
近年は先に触れた全世代型社会保障の一環として、幼稚園・保育の無償化に向けた議論が進んでおり、2019年度(平成31年度)予算から実行に移される予定である。以上のように見ると、高齢者介護と並んで平成の時代に充実が図られた分野であることは間違いない。
以上のように平成期に進められた社会保障制度改革22のいくつかを見ると、人口の高齢化と財政事情の悪化を通じて、財政の制約が大きくなる中、医療や年金では給付抑制が図られた一方、一人暮らし高齢者の増加や女性の社会進出など新しい事象に対応するため、高齢者福祉や子ども・子育て分野では給付の充実が図られた点を確認できる。
しかし、人口的にボリュームが大きい団塊世代が75歳以上になる2025年に向けて、医療・介護費用の増加が予想されている上、依然として大都市部における待機児童の問題は深刻であり、次の元号まで多くの宿題が持ち越されることとなった。
22 このほか福祉分野では2000年(平成12年)に児童虐待防止法が議員立法で成立した後、児童相談所の権限強化など児童虐待や社会的養護関する制度改正が矢継ぎ早に実施されている。さらに障害者福祉の分野でも大きな制度改正が実施されており、障害種別に分かれた福祉制度を一本化した2005年(平成17年)の障害者自立支援法の成立、これを改組した2013年(平成25年)の障害者総合支援法の成立などが挙げられる。生活保護分野では、膨張する予算の抑制を図る観点に立ち、2013年度(平成25年度)に生活保護基準をカットした一方、生活保護になる前の段階で生活再建を支援する生活困窮者自立支援制度が2015年(平成27年)にスタートした。
7――政策形成プロセスの変化
7――政策形成プロセスの変化23
1|官邸主導への変化
上記の改革の全てではないが、平成期の政策形成プロセスは政治主導、中でも首相官邸主導に変わった点を指摘できる24。ここでは詳しく述べないが、平成期の前半には小選挙区の導入を柱とする選挙制度改革、首相のリーダーシップを可能とする行政改革が実施された。その背景としては、▽1990年(平成2年)に起きた湾岸危機(後に湾岸戦争に発展)に関する国際貢献について国内の意思統一が遅れたことが批判された、▽リクルート事件など「政治とカネ」を巡るスキャンダルが相次ぎ、政治腐敗を防ぐ観点に立ち、政権交代を可能とする政治改革の重要性が指摘された、▽グローバル化や高齢化の進展などでスピーディーな政策決定が求められるようになった――といった点があり、首相官邸が制度改正をリードする場面が増えた。実際、社会保障制度改革でも患者の自己負担引き上げや診療報酬のカットなどの政策決定に際しては、当時の小泉首相の意向が強く反映した。
その際に活用されたのが2001年(平成13年)の省庁再編25で発足した経済財政諮問会議だった。ここでは民間議員のペーパーを基に論点を抽出し、時には関係閣僚の反対意見も引き出しつつ、首相による判断で制度改正の方向性を決定する形で、官邸主導による政策決定プロセスを演出する舞台装置となった。
官邸主導という点で言うと、厚生労働省(旧厚生省)に設置される審議会ではなく、内閣官房に設置される有識者委員会が社会保障制度改革の大きな方向性を議論するようになった変化も指摘できるであろう。
例えば、福田康夫政権は2008年(平成20年)1月に「社会保障国民会議」、麻生太郎政権は2009年(平成21年)9月に「安心社会実現会議」をそれぞれ設置し、将来の社会保障費の推計などに取り組んだほか、現在の制度改革の大きな流れは2013年(平成25年)8月に公表された社会保障制度改革国民会議の報告書に規定されている。いずれの会議も内閣官房に事務局が設置され、関係団体間の利害調整を中心とする厚生労働省の審議会とは別の場所で社会保障制度改革の方向性が議論された点が共通している。
23 政策形成プロセスの変化については、清水真人(2018)『平成デモクラシー史』ちくま新書、同(2005)『官邸主導』日本経済新聞社、牧原出(2018)『崩れる政治を立て直す』講談社現代新書、佐道明広(2012)『「改革」政治の混迷』吉川弘文館、竹中治堅(2006)『首相支配』中公新書などを参考にした。
24 官僚の人事管理を一元化した内閣人事局が2014年(平成26年)5月に発足し、官僚が首相官邸に反対しにくい雰囲気を作り出しているという指摘がある。『朝日新聞』2018年4月26日、『日本経済新聞』2018年4月7日を参照。
25 省庁再編では厚生省と労働省が統合し、厚生労働省となった。働き方改革と女性参加など分野横断的な取り組みが行われやすくなった半面、1人の大臣が所管するには大き過ぎるため、分割論の是非が過去、何回か取り沙汰されている。『日本経済新聞』2018年9月22日、同月6日を参照。2|諸刃の剣の側面を持つ官邸主導
政治家と官僚の関係や政策決定過程の改革、統治機構改革は本レポートの対象から外れてしまうため、具体的な議論には踏み込まないが、こうした官邸主導の政策形成は諸刃の剣の側面がある。まず、マイナス面を挙げると、従来の積み上げてきた政策と整合しなくなる可能性が想定される。例えば、安倍首相が2015年(平成27年)9月に提唱した「新三本の矢」では、介護を理由にした離職者をゼロにする方針が示されたが、介護保険制度改革の議論と必ずしもリンクしておらず、全体として整合性が取れているとは言えない。消費税の引き上げが延期されたことに代表される通り、政局的な判断が優先されやすくなる面も指摘できる。
しかし、「ともすればコンセンサスを過剰に重視して決断を下せない傾向の強い日本にあって、政権が強力にリーダーシップを発揮することは重要である」という指摘26がある通り、官邸主導のプラス面も大きい。例えば、従来の方法や考え方に固執してしまいがちな官僚機構に対し、思い切った方向性を示せるのは官邸主導のプラス面である。確かに社会保障制度については、その制度改正が国民の生活に影響を与える分、一夜にして変えるような抜本改革が難しい面があるが、国民の代表である政治家が制度改革の大きな方向性を示した上で、関係者の合意形成を図る方法が求められる。
26 牧原前掲書p77。
8――おわりに~
「平成」という言葉は元々、「内外、天地ともに平らかで平和な世の中になるように」という思いが込められていた。しかし、本レポートで振り返った通り、財政的な制約条件が強まる中、社会保障を巡る平成期の環境は決して「平らか」とは言えなかった。
しかも予見できる限り、新しい元号における道のりは一層、厳しくなる。例えば、平成期に進んだ少子高齢化は一層進行すると見られており、国家財政も劇的に改善するとは考えにくい。さらに、今後は生産年齢人口の減少が影響し、人口減少が医療・介護・福祉現場の人材難という形で社会保障制度の制約条件になる可能性も想定される。こうした中で、団塊世代が75歳以上になる2025年だけでなく、平成期の経済不況下に社会人となった団塊ジュニアが高齢者になる2040年も意識した社会保障制度を構築することが必要になる。
平成期に積み残した課題を解消しつつ、社会経済情勢の変化を踏まえて国民の生活をどう保障するか、そのための財源や人材をどう確保するか。国民の広範な議論と合意形成が求められる。
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2018年も大晦日まで残り10日を切った。2019年(平成31年)5月には新元号に切り替わるため、平成で迎える最後の年の瀬になる。本レポートでは、1989年(平成元年)1月に始まった「平成」の30年を社会保障という切り口で振り返る。
具体的には、少子化の進展や高齢者人口の増加といった人口動態を振り返った上で、GDPの伸びを上回って年金、医療、介護などの社会保障費が増加したことを取り上げる。さらに、国の財政事情が悪化したことで社会保障制度の制約条件が増した点、その対策として消費税を社会保障に充てる考えが浮上した経緯や制度改正の動向、給付削減が図られた医療や年金における制度改正の経緯、高齢者福祉や子ども・子育て支援など新しい課題に対応した点などを考察する。その上で、こうした改革を進める際、首相官邸による主導性が強まった点なども振り返ることで、約30年間の変化を追う。
■目次
1――はじめに~平成という時代を社会保障で振り返る~
2――人口の変動
1|高齢化率の上昇
2|少子化の定着――「1.57ショック」で始まった平成
3――社会保障費の増加
4――財政状況の悪化
5――消費税の導入、引き上げと社会保障の関係
1|「長寿・福祉社会の礎」と説明された消費税の導入
2|参院選大敗の一因と見なされた消費税
3|消費税の社会保障税化
4|政局に翻弄された消費税
6――社会保障制度改革の動向
1|医療分野における財政調整、自己負担の増加、在宅医療の充実
2|給付抑制を目指した年金改革
3|高齢者福祉における介護保険制度の創設
4|子ども・子育て分野の充実
7――政策形成プロセスの変化
1|官邸主導への変化
2|諸刃の剣の側面を持つ官邸主導
8――おわりに~1――はじめに~平成という時代を社会保障で振り返る~
2018年も大晦日まで残り10日を切った。2019年(平成31年)5月には新元号に切り替わるため、平成で迎える最後の年の瀬になる。本レポートでは、1989年(平成元年)1月に始まった「平成」の30年を社会保障という切り口で振り返る。
具体的には、少子化の進展や高齢者人口の増加といった人口動態を振り返った上で、GDPの伸びを上回って年金、医療、介護などの社会保障費が増加したことを取り上げる。さらに、国の財政事情が悪化したことで社会保障制度の制約条件が増した点、その対策として消費税を社会保障に充てる考えが浮上した経緯や制度改正の動向、給付削減が図られた医療や年金における制度改正の経緯、高齢者福祉や子ども・子育て支援など新しい課題に対応した点などを考察する。その上で、こうした改革を進める際、首相官邸による主導性が強まった点なども振り返ることで、約30年間の変化を追う。
2――人口の変動
2――人口の変動
1|高齢化率の上昇
まず、平成期の人口変動を考える。2008年(平成20年)を境に人口減少局面に入ったが、総人口は僅かながら増加した。具体的には、1989年(平成元年)時点で1億2,320万5,000人だったのに対し、2017年(平成29年)時点で1億2,670万6,000人となり、300万人ほど増えた。
一方、図1の通りに65歳以上の高齢化率は平成の間、一貫して増加しており、1989年(平成元年)では11.6%だったが、平成29年(2017年)時点では27.7%までに伸びた。この理由の第1に、平均寿命の延伸が挙げられる。厚生労働省の「簡易生命表」によると、1989年(平成元年)の時点で男性75.91歳、女性81.77歳だった平均寿命は最新の2017年(平成29年)時点で男性81.09歳、女性87.26歳まで伸びた。この結果、同じ期間の65歳以上人口は1,430万9,000人から3,515万2,000人となり、約2.5倍に増えた。
しかし、人口の高齢化が進んだのは高齢者人口の増加や平均寿命の延伸だけが原因ではない。むしろ、少子化の方が平成という時代を特徴付ける事象と言えるかもしれない。以下、その動向を見ることとする。2|少子化の定着――「1.57ショック」で始まった平成
「出生数の減少は、我が国の将来にさまざまな問題を投げかけております。若い人々の子供を持つ意欲を積極的に支えていくことに日本の未来をかけて努力していかなければなりません。子供は世の宝であります。この宝を守り、健やかにたくましく育てていくことこそは、何にも増して大切な仕事であります。私は、これらのことを肝に銘じて、効果的な環境づくりを積極的に進めてまいります」――。これは1990年(平成2年)3月の衆院本会議における海部俊樹首相(肩書は当時、以下は全て同じ)の施政方針演説の一節である1。
今から考えると、当然の発言のように映るが、当時としては異例だった。その背景には合計特殊出生率(1人の女性が一生の間に産む子どもの平均数、以下は出生率と略)の低下に対する危機感があった。厚生省児童家庭局長だった古川貞二郎(後に内閣官房副長官)による回顧2。
児童家庭局長のとき、出生率が1.57まで低下したことに危機感を抱き、(略)所信表明演説に「子供が生まれ育つ環境づくり」を一言入れてもらった。このことで「1.57ショック」という言葉が世に広まった。だが、関係省庁連絡会議も設置されたが、残念ながら実も結ばなかった。当時、政府は高齢化対策で手いっぱいだったことと、戦前の「生めよ増やせよ」の記憶で、社会には出生は夫婦の問題だという意識が根強かった。ここで言う「1.57」とは1989年(平成元年)に記録した出生率であり、象徴的な数字だった。具体的には「丙午に生まれた女の子はじゃじゃ馬になる」という迷信で出生率が下がった1966年の出生率が1.58であり、この水準を下回ったことが当時の政策立案者にショックを持って受け止められ、回顧に出て来る通りに「1.57ショック」と呼ばれた。
その後、政府は後で述べる通りに様々な改革を打ち出したが、2005年(平成17年)に1.26まで低下した。最新のデータである2017年(平成29年)では1.43まで回復したとはいえ、平成の時代の始まりにショックを持って受け止められた「1.57」を上回ることは一度もなかった。この結果、1989年(平成元年)と2018年(平成30年)の出生数(子どもの数)を比べると、124万6,802人から92万1,000人に減少した。
このように見ると、平成という時代は平均寿命の延伸で高齢者が増加した一方、「少子化に対する危機感が示されたものの、人口が減少した時代」という評価が可能であろう。
では、こうした人口変動は社会保障にどのような影響を与えただろうか。この観点で平成という時代を振り返る。
1 1990年(平成2年)3月2日第118回国会衆院本会議における発言。
2 古川貞二郎(2015)『私の履歴書』日本経済新聞出版社P75。
3――社会保障費の増加
3――社会保障費の増加
高齢者人口が増えれば、年金・医療・介護の給付費は当然、増加する。国立社会保障・人口問題研究所の「社会保障費用統計」に従うと、平成期の社会保障費は図2の通りに右肩上がりで増加した。具体的には、1989年(平成元年)時点の社会保障費用(医療、年金、福祉その他の合計)は45兆554億円だったが、最新の2016年度(平成28年度)時点で116兆9,027億円に増えた。
一方、同じ期間にGDPは1.3倍しか増えていないため、社会保障給付費のGDP比は10.8%から21.7%に伸びた。この伸び率を分野別に見ると、「医療」が2.16倍、「年金」が2.43倍、高齢者福祉や生活保護など「福祉のその他」が4.84倍に増えている。
「福祉その他」の伸び率が大きい理由としては、(1)高齢者介護費の増加、(2)生活保護予算の増加、(3)障害者福祉や子ども・子育て支援に要する経費の増加――が考えられる。このうち、(1)については、社会保障費用統計に内訳が示されており、介護保険が創設された2000年度(平成12年度)以降、高齢者介護の費用は2016年度(平成28年度)までに2.9倍に増えた。(2)の生活保護については、社会保障費用統計に内訳が出ていないため、厚生労働省の資料で確認する3と、その総額は図3の通りに増えた。具体的には、1989年(平成元年)の1兆3,456億円に比べると、2017年(平成29年)の時点で3兆7,127億円にまで増加した。これは高齢化の進展や独居高齢者の増加、長引いた景気低迷、グローバル化の影響を受けた雇用不安など平成の時代に起きた社会経済の変化の影響と言える。生活保護については不正受給者の存在が喧伝されがちだが、受給者の半数近くが65歳以上高齢者であること、医療扶助が予算の半分を占めていることを踏まえると、高齢者や低所得者に対する医療・福祉の問題と不即不離の関係にあり、日本社会の構造的な問題が凝縮されていると言えるかもしれない。
(3)については、社会保障費用統計で内訳が示されておらず、平成期の変化を追える統計も見当たらないため、詳細を把握できないが、障害者福祉サービス関係予算額は2005年(平成17年)に4,312億円だったのに対し、2018年度(平成30年度)予算ベースで1兆3,810億円となり、10年余で約3倍に増加した。これは障害者総合支援法(旧障害者自立支援法)の施行など平成期に進んだ制度改革が影響しているとみられる。さらに子ども・子育て支援についても、後に触れる通りに制度の拡充が図られており、こうした制度改正が社会保障費用統計の「福祉その他」を増やす一因となったと見られる。
もちろん、社会保障費の増加自体は悪いこととは言えない。しかし、これらの増加分を税金や社会保険料で賄えておらず、国家財政の悪化を通じてツケが将来世代に回っている。以下、平成期の財政状況を見てみよう。
3 社会保障費用統計では生活保護の医療扶助が「医療」に組み込まれており、統計の区分が少し異なる点には留意する必要がある。
4――財政状況の悪化
4――財政状況の悪化
「先人達や、新たな時代そして更にその先の時代の子供達に、平成時代の財政運営をどのように申し開くことができるのだろうか」――。財政制度等審議会(財務相の諮問機関)が2018年(平成30年)11月に公表した建議(意見書)で、平成の30年間をこう振り返った4。
確かに平成期は財政悪化の時期とほぼ重なる。具体的には、バブル経済による税収の自然増の追い風を受け、1990年度(平成2年度)に特例国債(いわゆる赤字国債)の依存から脱却したものの、図4の通りに増減を繰り返しつつ、公債発行額と公債依存度は高止まりが続いている。そこで、平成期の財政政策を簡単に振り返ると、橋本龍太郎政権期の財政構造改革法、小泉純一郎政権期の歳出抑制など本格的な財政再建に取り組む時期があったのを除けば、景気回復と低金利頼みの財政運営が続いている。具体的には、1994年度(平成6年度)補正予算で特例国債の発行が再開した後、特例公債に頼る財政運営が恒常化。バブル経済崩壊後の景気対策や小渕恵三政権期の景気対策、リーマンショック後の景気対策、民主党政権期の財政規模の拡大などを経て、財政赤字と債務残高は拡大基調となった。近年は景気回復に伴う税収の増加で特例公債の発行額は減少基調だが、2018年度(平成30年度)予算時点でも特例公債の発行額は27兆5,982億円、建設国債を加味した公債依存度は34.5%となっている。その結果、国の債務残高は1989年度(平成元年度)の160兆9,100億円から増加し、2018年度(平成30年度)予算ベースで882兆7,525億円となった。同じ期間の国の債務残高GDP比も38.7%から156.4%に急上昇した。
深刻なのは国・地方の基礎的財政収支(プライマリー・バランス、PB)の赤字が続いている点であろう。PBとは、その年の政策的経費をその年の税収で賄えているかを見る指標であり、これが赤字だと債務は拡大する。このため、政府は2002年(平成14年)以降、PB黒字化の目標を繰り返し設定してきたが、2018年度(平成30年度)当初予算時点のPBは依然としてGDP比で9.0%の赤字である5。経済成長による税収の自然増が期待できる面があるとはいえ、PBの赤字が続いている状況とは、その年の政策的経費を税収で賄えていないことを意味しており、現在の世代が支払うべき負担を将来世代にツケ回しする状況が続いていることになる。
こうした制約の下、増加し続ける社会保障費の負担と給付のバランスを考える必要に迫られた政府は平成の間、様々な「改革」を進めた。具体的には、歳入増加策として消費税の導入と引き上げであり、その際には国民の反発を和らげるための方策として、「社会保障の財源として消費税が必要」といった形で消費税と社会保障の紐付けが意識された。
一方、歳出面では医療や年金の分野で給付抑制や国費の削減が志向されるとともに、高齢者福祉や子ども・子育て支援などの分野では給付の充実が図られた。以下、消費税の導入と引き上げ、社会保障制度改革との関係などについて、その動向を考察しよう。
4 2018年(平成30年)11月20日財政制度等審議会「平成31年度予算の編成等に関する建議」。
5 2018年(平成30年)7月9日経済財政諮問会議提出資料「中長期の経済財政に関する試算」。
1|「長寿・福祉社会の礎」と説明された消費税の導入
「この改革が、我が国経済社会の活力を維持し、豊かな長寿・福祉社会をつくる礎となるものと確信をいたしております。(略)新しい税制に対する国民の信頼を得るためには、この制度を円滑に実施に移していくことが不可欠であり、最大限の努力をしてまいりたいと決意いたしておるのであります」――。これは平成に元号が変わって1カ月を経た1989年(平成元年)2月の竹下登首相による所信表明演説の一節である7。
ここで言う「改革」とは消費税導入を含めた税制改革を指す。税制改革関連法は前年に成立しており、4月の実施に向けた準備を進めている段階だった。平成の世は消費税の導入とともにスタートしたのである。そして、竹下首相が「豊かな長寿・福祉社会」を挙げている通り、3%で導入された消費税の目的としては、直間比率(直接税と間接税の比率)や不公平税制の見直しなどとともに、高齢化に向けた安定的な財源確保の必要性も論じられていた8。この後、社会保障と消費税の関連性は制度改正を重ねる度、強化されていくことになる。
6 財政政策や消費税を巡る政治・行政の動向については、財務省財務総合政策研究所財政史室編(2017)『平成財政史 第1巻』白峰社、清水真人(2015)『財務省と政治』中公新書、同(2013)『消費税 政と官との「十年戦争」』新潮社、伊藤裕香子(2013)『消費税日記』プレジデント社、岸宣仁(1998)『税の攻防』文藝春秋などを参考にした。
7 1989年(平成元年)2月10日第114国会衆院本会議における発言。
8 実際、平成に改元される直前の1988年(昭和63年)4月に示された政府税制調査会の答申では高齢化社会の進展を見据える必要性に言及しており、答申を紹介する『朝日新聞』1988年4月29日は「旗印は不公平税是正」という見出しを付けた上で、「高齢化社会の財源も名分に」という解説を加えている。さらに小倉武一会長は竹下首相に対し、福祉目的など使途を限定するアイデアを披歴したという記述がある。
まず、1989年(平成元年)4月にスタートした消費税は国民の反発を浴びることとなった。これを導入した竹下内閣は同年6月、リクルート事件などによる支持率低迷を受けて退陣。同年7月の参院選でも自民党は大敗を喫し、参議院で過半数を失った。敗因は消費税だけでなく、リクルート事件、宇野宗佑首相の女性スキャンダルなどもあったが、消費税が政治家にとってトラウマになった可能性を指摘できる。
その後も消費税は政局の焦点になる。選挙制度改革の混乱と自民党の分裂に端を発した解散総選挙の結果、非自民、非共産の連立政権による細川護熙内閣が1993年(平成5年)8月に成立。さらに、細川政権は懸案だった選挙制度改革を決着させた後、1994年(平成6年)2月に「国民福祉税」構想を公表した。これは消費税を福祉目的として3%から7%に引き上げるという内容だったが、連立与党内への説明が不十分だったとして、僅か1日で撤回を余儀なくされた。唐突な発表の裏側には大蔵省(当時)主計局の影響力が指摘されている。
さらに、目まぐるしい連立の組み換えや内閣交代を経て、消費税は1997年(平成9年)4月に3%から5%に引き上げられたが、その直後の1998年(平成10年)7月の参院選で自民党は再び大敗を喫した。敗因としては所得減税を巡る橋本首相の発言のブレに加えて、不良債権問題やアジア経済危機、山一證券や北海道拓殖銀行の破綻などの経済不況が影響したのは事実であり、景気低迷をもたらした一因として消費税も挙げられた。
その後、政局の安定化を図る自民党は小沢一郎に率いられた自由党、さらに公明党との連立に踏み切るが、年金などの税方式化を唱える自由党の主張に配慮し、1999年度(平成11年度)予算から消費税の使途(地方交付税分を除く)は福祉目的に充当することが予算総則で位置付けられ、消費税と社会保障の紐付けが強化されることになった。3|消費税の社会保障税化
そして、消費税を5%から10%に引き上げる際、国民の反発を緩和する一つの方策として、社会保障税化が明確に意識される。これを推進した一人は小泉内閣の経済財政担当相など務めた与謝野馨氏であり、その淵源は小泉政権にさかのぼる。当時、小泉首相は「消費税を任期中に上げない」としつつ、歳出改革を重視していたが、消費税の議論自体は否定していなかった。こうした中、与謝野氏が取り仕切っていた自民党財政改革研究会が2005年(平成17年)10月に示した報告書で、消費税の社会保障目的税化に言及した。これが消費税の社会保障化を制度的に明確に位置付けた現行制度に至る始まりとなる。
さらに、民主党が躍進した2007年(平成19年)7月の参院選を挟み、同年11月の報告書で自民党財政改革研究会は「消費税を国民に対する社会保障給付のための財源と位置づけ、その趣旨を明確にすべく、現行の消費税を社会保障税(仮称)に改組する」との考えを示した。そして同年12月に閣議決定された「持続可能な社会保障構築とその安定財源確保に向けた中期プログラム」では、消費税収について「確立・制度化した社会保障の費用に充てることにより、すべて国民に還元し、官の肥大化には使わない」として消費税の社会保障税化を掲げつつ、2011年度(平成23年度)に税制抜本改革を実施する旨が盛り込まれた。この方針は税制改革法の附則にも反映され、民主党政権期の議論に繋がる「布石」となった。
その後、2009年(平成21年)9月の政権交代を経て、消費増税と社会保障税化の議論は一度ストップするが、いくつかの曲折を経て野田佳彦政権の2012年(平成24年)8月、民主、自民、公明の賛成で税制改革法が成立した。これにより、2014年(平成26年)4月1日から8%、2015年(平成27年)10月1日から10%とすることが決まった。さらに引き上げによる増収分については、従来の予算総則で位置付けられていた年金、医療、介護の3分野に少子化対策・子育てを加えた「社会保障4経費」に使途を限定することとなり、その旨が法律で明記された。しかし、この後も消費税は政局に翻弄されることになる。4|政局に翻弄された消費税
2012年(平成24年)の総選挙を経て政権に返り咲いた安倍晋三首相は消費税を予定通りに5%から8%に引き上げたものの、8%から10%への再引き上げについて2017年(平成29年)4月まで先送りすることを決定。その判断について国民の信を問う名目で、2014年(平成26年)12月に総選挙が実施された。2016年(平成28年)6月には景気低迷リスクを回避するとして、2019年10月まで10%への引き上げを延期するとした。
さらに、2017年(平成29年)9月には「消費税の使い道を私は思い切って変えたい」と表明。消費税収を幼稚園・保育所の無償化などに充当することで、高齢者中心の社会保障から「全世代型」に切り替える考えを強調し、再び総選挙が実施された。
以上のように見ると、平成の始まりとともに誕生した消費税は「不幸な生い立ちをもち、政治的に時の政権を翻弄してきた経緯」9を経て、段階的に引き上げられてきた様子を理解できる10。その過程では国民の不満を和らげるため、制度創設時から社会保障に紐付けた説明がなされたこと、そして時を経るごとに関連性が強化された結果、社会保障税化や全世代型社会保障にまで繋がったことを理解できるであろう。それにもかかわらず、巨額な国・地方のPB赤字や債務残高を考えると、財政健全化に向けた道のりはなお遼遠であり、将来世代のツケ回しという課題は次の元号まで持ち越されることになる。
では、社会保障費の増加と財政の悪化が重なる中、平成期にはどのような社会保障制度改革が実施されたのだろうか。以下、紙幅の都合上、全てを網羅できないため、消費税収の使途が限定された4分野(医療、年金、介護、子ども・子育て)について、平成期の動向を考察する。
9 石弘光(2008)『税制改革の渦中にあって』岩波書店p124。
10 平成の時代に該当しないが、導入に至る前史として、大平正芳内閣が一般消費税、中曽根康弘内閣が売上税の導入に失敗していることも考慮する必要がある。
6――社会保障制度改革の動向
6――社会保障制度改革の動向
1|医療分野における財政調整、自己負担の増加、在宅医療の充実11
平成期の医療制度改革を総合すると、(1)被用者保険(健康保険組合など)からの財政調整の強化、(2)国民健康保険に関する都道府県の役割拡大、(3)窓口で支払う自己負担の増加、(4)在宅医療の充実――といった点に整理できるであろう。
このうち、(1)については、既に事実上の財政調整として老人保健制度12が創設されていたが、1990年度(平成2年度)から被用者保険の負担を増やす制度改正が実施された。具体的には、高齢者医療費の負担を各保険者に割り振る際、各保険者自身の老人医療費で按分する「医療費按分」と、どの保険者も同じ老人加入割合と見なして拠出金を調整する「加入者按分」を1:1としていたが、加入者按分率を1990年までに100%としたことで、相対的に健保組合の負担が増加した13。このため、健保連は「被用者保険の負担に転嫁する苦肉の策でしかない」と不満を強めた14ことで、老人保健制度の見直し論議が高まり、後期高齢者医療制度導入を含む2008年度(平成20年度)の制度改革に繋がった。しかし、この改正を経ても前期高齢者(65~74歳)の納付金15、後期高齢者(75歳以上)に対する支援金16を通じて健康保険組合の負担は増加し続けており、健康保険組合連合会は負担軽減や制度改革を求めている。
こうした制度改正が続いている背景としては、国の財政悪化と高齢化の進行が挙げられる。高齢者の増加に伴って高齢者医療費が増えたことで、高齢者が多く加入している国民健康保険の財政が悪化した。しかし、国の財政事情が悪い中、国民健康保険に対する国の税金投入が難しくなっているため、相対的に豊かな健康保険組合の負担を増やす制度改正が続いている。(2)の国民健康保険に関する都道府県の役割拡大については、(1)と同じ背景である。国の財政が厳しい中、国民健康保険の財政負担を軽減するため、小泉政権で実施された国・地方税財政の「三位一体改革」17などを経て、国の負担を肩代わりする形で都道府県の財政負担や役割を拡大させる制度改正が続けられた。その結果を示しているのが図5である。1989年度(平成元年度)の時点で国民医療費は19兆7,290億円だったが、2015年度(平成27年度)までに2.15倍の42兆3,644億円に増えた。その間、国の税負担は2.23倍、事業主の保険料負担が1.84倍、被保険者本人の保険料負担は1.89倍、患者負担などが2.11倍に増えたのに対し、自治体の税負担は4.21倍に増加している。このデータには都道府県、市町村の内訳を把握できない限界があるが、平成の時代には国民健康保険に関する国庫負担を減らす一方、2018年度(平成30年度)に財政運営を都道府県化するなど、都道府県の財政負担を拡大する改革が続けられたため、その影響と思われる。
(3)の自己負担増については、1997年度(平成9年度)に被用者保険に加入する被保険者本人の負担を1割から2割に、2003年度(平成15年度)に2割から3割に引き上げたことで、原則として3割負担で統一された。しかし、原則として70~74歳は2割、75歳以上は1割となっているため、その見直しが課題として残されている18。
(4)の在宅医療の充実については、昭和末期から徐々に始まっていたが、これが加速したのが平成期だった。具体的には、1992年(平成4年)の医療法改正を通じて「居宅」が医療提供の場に、1994年の健康保険法等改正で在宅医療が療養の給付として位置付けられた。さらに、1990年代前半の診療報酬改定を通じて、在宅医療に報酬が重点配分されるようになり、現在は外来、入院に続く第3の柱として見なされている。このように見ると、在宅医療の重視は平成期の医療政策の特徴の一つと言える。この背景には、自宅での看取りを望む国民の選択肢を増やす狙いに加えて、世界的に過剰な病床を削減するための受け皿として、在宅医療を整備する思惑がある19。
しかし、高齢者医療費を中心に医療費の増加は続いており、負担と給付のバランスをどう取るかという点については、次の年号まで持ち越されることとなった。
11 医療制度改革の動向については、吉原健二・和田勝(2008)『日本医療保険制度史』東洋経済新報社、菅沼隆ほか編著(2018)『戦後社会保障の証言』有斐閣などを参考にした。
12 老人保健制度は国民健康保険を事実上、救済するため、国・都道府県・市町村の税金に加えて、被用者保険からの保険料を充当するため、1983年2月にスタートした。
13 元厚生省官僚の吉原健二は「老人の加入者按分率を一挙に100(注:%)にまであげてしまったことが老人保健法の寿命を縮めたと思います」としている。菅沼隆ほか編著(2018)『戦後社会保障の証言』有斐閣pp189-190。
14 健康保険組合連合会編(1993)『健保連五十年の歩み』pp333-334。
15 前期高齢者納付金とは、高齢者の加入率が高い国民健康保険に対し、被用者保険が保険料を拠出する仕組み。
16 後期高齢者支援金とは、被用者保険や国民健康保険など74歳以下の国民が加入している保険者から後期高齢者医療制度に対し、保険料を拠出する仕組み。
17 三位一体改革とは自治体の財政自主権を拡大するため、(1)国庫補助金の廃止・縮減、(2)その浮いた国の税金の税源を地方に移譲、(3)地方交付税の見直し――を一体的に進める改革である。
18 例えば、2018年6月に閣議決定された「骨太方針2018」(経済財政運営と改革の基本方針2018)では、高齢者医療費の自己負担引き上げを「検討」すると定めている。
19 例えば、2013年8月の社会保障制度改革国民会議報告書は「急性期医療を中心に人的・物的資源を集中投入し、入院期間を減らして早期の家庭復帰・社会復帰を実現するとともに、受け皿となる地域の病床や在宅医療・在宅介護を充実させていく必要がある」との考えを示している。
高齢化の進行や財政悪化を踏まえて、年金財政の安定化策も講じられた。その最たる例が2004年度(平成16年度)の制度改正であり、(1)基礎年金の国庫負担を2009年度(平成21年度)に3分の1から2分の1に引き上げる、(2)5年ごとに財政検証を実施、(3)厚生年金と国民年金の保険料水準を固定、(4)収入の範囲内で年金給付額を調整する「マクロ経済スライド」の導入――などが実施された。
このうち、基礎年金国庫負担の引き上げについては、その財源として消費税が想定されていたため、民主党政権を含めて小泉政権の後の政権にとって悩みの種となったが、紆余曲折の末に2014年度(平成26年度)に実現した。
しかし、マクロ経済スライドは2015年度(平成27年度)に一度、実施されただけであり、財政バランスは現在も課題となっている。
20 年金制度改革を巡る動向については、矢野聡(2012)『日本公的年金政策史』ミネルヴァ書房などを参考にした。
平成期は高齢者福祉の充実が図られた時代だった。高齢者福祉サービスの充実を図る「高齢者保健福祉推進10カ年戦略」(ゴールドプラン)が1989年(平成元年)12月に策定されており、平成の始まりととともに高齢者福祉対策が強化されたと言える。
さらに、特筆すべきは2000年(平成12年)の介護保険制度の創設である。制度化の議論は1994年(平成6年)12月の高齢者介護・自立支援システム研究会の報告書を手始めに、厚生省(当時)を中心に議論が進み、その途中には1996年(平成8年)の厚生省事務次官による汚職事件、施行直前の保険料徴収の半年間凍結などの「事件」を挟みつつ、自治体主体による措置に代わる仕組みとして、社会保険方式によるサービスの充実が選択された。この背景には、医学的ニーズが少ないのに入院する「社会的入院」の解消を通じて、高齢者医療費の圧縮と国民健康保険の財政負担を軽減する目的があったほか、市町村を保険者(保険制度の運営主体)とする判断に際しては、別に進んでいた地方分権改革の影響も受けた。
その後、20年近い歳月を経る中で国民の間に定着したと言えるが、自己負担を含む総予算額は2000年度(平成12年度)の3兆6,273億円から2016年度(平成28年度)時点で9兆9,903億円に増加した。このため、近年は財政のバランスを取る必要に迫られており、介護予防の強化や自己負担の引き上げといった制度改正が進められている。
21 介護保険制度を巡る動向については、介護保険制度史研究会編(2016)『介護保険制度史』社会保険研究所などを参考にした。
平成という時代を振り返ると、子ども・子育て分野で給付の充実が図られた点も指摘できる。前半で触れた出生率の低下に対する危機感を背景に、1995年(平成7年)から「エンゼルプラン」、2000年(平成12年)4月から「新エンゼルプラン」がそれぞれスタートし、保育所の整備などが図られた。さらに、2004年(平成16年)4月には「少子化社会対策大綱」、民主党政権期の2010年(平成22年)1月に作られた「子ども・子育てビジョン」などを経て、先に触れた消費税を引き上げる際の使途として「子ども・子育て支援新制度」が創設され、幼稚園と保育所を一体化させた「認定こども園」の普及、地域の実情に応じて小規模保育などを進める「地域型保育給付」などが位置付けられた。
近年は先に触れた全世代型社会保障の一環として、幼稚園・保育の無償化に向けた議論が進んでおり、2019年度(平成31年度)予算から実行に移される予定である。以上のように見ると、高齢者介護と並んで平成の時代に充実が図られた分野であることは間違いない。
以上のように平成期に進められた社会保障制度改革22のいくつかを見ると、人口の高齢化と財政事情の悪化を通じて、財政の制約が大きくなる中、医療や年金では給付抑制が図られた一方、一人暮らし高齢者の増加や女性の社会進出など新しい事象に対応するため、高齢者福祉や子ども・子育て分野では給付の充実が図られた点を確認できる。
しかし、人口的にボリュームが大きい団塊世代が75歳以上になる2025年に向けて、医療・介護費用の増加が予想されている上、依然として大都市部における待機児童の問題は深刻であり、次の元号まで多くの宿題が持ち越されることとなった。
22 このほか福祉分野では2000年(平成12年)に児童虐待防止法が議員立法で成立した後、児童相談所の権限強化など児童虐待や社会的養護関する制度改正が矢継ぎ早に実施されている。さらに障害者福祉の分野でも大きな制度改正が実施されており、障害種別に分かれた福祉制度を一本化した2005年(平成17年)の障害者自立支援法の成立、これを改組した2013年(平成25年)の障害者総合支援法の成立などが挙げられる。生活保護分野では、膨張する予算の抑制を図る観点に立ち、2013年度(平成25年度)に生活保護基準をカットした一方、生活保護になる前の段階で生活再建を支援する生活困窮者自立支援制度が2015年(平成27年)にスタートした。
7――政策形成プロセスの変化
7――政策形成プロセスの変化23
1|官邸主導への変化
上記の改革の全てではないが、平成期の政策形成プロセスは政治主導、中でも首相官邸主導に変わった点を指摘できる24。ここでは詳しく述べないが、平成期の前半には小選挙区の導入を柱とする選挙制度改革、首相のリーダーシップを可能とする行政改革が実施された。その背景としては、▽1990年(平成2年)に起きた湾岸危機(後に湾岸戦争に発展)に関する国際貢献について国内の意思統一が遅れたことが批判された、▽リクルート事件など「政治とカネ」を巡るスキャンダルが相次ぎ、政治腐敗を防ぐ観点に立ち、政権交代を可能とする政治改革の重要性が指摘された、▽グローバル化や高齢化の進展などでスピーディーな政策決定が求められるようになった――といった点があり、首相官邸が制度改正をリードする場面が増えた。実際、社会保障制度改革でも患者の自己負担引き上げや診療報酬のカットなどの政策決定に際しては、当時の小泉首相の意向が強く反映した。
その際に活用されたのが2001年(平成13年)の省庁再編25で発足した経済財政諮問会議だった。ここでは民間議員のペーパーを基に論点を抽出し、時には関係閣僚の反対意見も引き出しつつ、首相による判断で制度改正の方向性を決定する形で、官邸主導による政策決定プロセスを演出する舞台装置となった。
官邸主導という点で言うと、厚生労働省(旧厚生省)に設置される審議会ではなく、内閣官房に設置される有識者委員会が社会保障制度改革の大きな方向性を議論するようになった変化も指摘できるであろう。
例えば、福田康夫政権は2008年(平成20年)1月に「社会保障国民会議」、麻生太郎政権は2009年(平成21年)9月に「安心社会実現会議」をそれぞれ設置し、将来の社会保障費の推計などに取り組んだほか、現在の制度改革の大きな流れは2013年(平成25年)8月に公表された社会保障制度改革国民会議の報告書に規定されている。いずれの会議も内閣官房に事務局が設置され、関係団体間の利害調整を中心とする厚生労働省の審議会とは別の場所で社会保障制度改革の方向性が議論された点が共通している。
23 政策形成プロセスの変化については、清水真人(2018)『平成デモクラシー史』ちくま新書、同(2005)『官邸主導』日本経済新聞社、牧原出(2018)『崩れる政治を立て直す』講談社現代新書、佐道明広(2012)『「改革」政治の混迷』吉川弘文館、竹中治堅(2006)『首相支配』中公新書などを参考にした。
24 官僚の人事管理を一元化した内閣人事局が2014年(平成26年)5月に発足し、官僚が首相官邸に反対しにくい雰囲気を作り出しているという指摘がある。『朝日新聞』2018年4月26日、『日本経済新聞』2018年4月7日を参照。
25 省庁再編では厚生省と労働省が統合し、厚生労働省となった。働き方改革と女性参加など分野横断的な取り組みが行われやすくなった半面、1人の大臣が所管するには大き過ぎるため、分割論の是非が過去、何回か取り沙汰されている。『日本経済新聞』2018年9月22日、同月6日を参照。
政治家と官僚の関係や政策決定過程の改革、統治機構改革は本レポートの対象から外れてしまうため、具体的な議論には踏み込まないが、こうした官邸主導の政策形成は諸刃の剣の側面がある。まず、マイナス面を挙げると、従来の積み上げてきた政策と整合しなくなる可能性が想定される。例えば、安倍首相が2015年(平成27年)9月に提唱した「新三本の矢」では、介護を理由にした離職者をゼロにする方針が示されたが、介護保険制度改革の議論と必ずしもリンクしておらず、全体として整合性が取れているとは言えない。消費税の引き上げが延期されたことに代表される通り、政局的な判断が優先されやすくなる面も指摘できる。
しかし、「ともすればコンセンサスを過剰に重視して決断を下せない傾向の強い日本にあって、政権が強力にリーダーシップを発揮することは重要である」という指摘26がある通り、官邸主導のプラス面も大きい。例えば、従来の方法や考え方に固執してしまいがちな官僚機構に対し、思い切った方向性を示せるのは官邸主導のプラス面である。確かに社会保障制度については、その制度改正が国民の生活に影響を与える分、一夜にして変えるような抜本改革が難しい面があるが、国民の代表である政治家が制度改革の大きな方向性を示した上で、関係者の合意形成を図る方法が求められる。
26 牧原前掲書p77。
8――おわりに~
「平成」という言葉は元々、「内外、天地ともに平らかで平和な世の中になるように」という思いが込められていた。しかし、本レポートで振り返った通り、財政的な制約条件が強まる中、社会保障を巡る平成期の環境は決して「平らか」とは言えなかった。
しかも予見できる限り、新しい元号における道のりは一層、厳しくなる。例えば、平成期に進んだ少子高齢化は一層進行すると見られており、国家財政も劇的に改善するとは考えにくい。さらに、今後は生産年齢人口の減少が影響し、人口減少が医療・介護・福祉現場の人材難という形で社会保障制度の制約条件になる可能性も想定される。こうした中で、団塊世代が75歳以上になる2025年だけでなく、平成期の経済不況下に社会人となった団塊ジュニアが高齢者になる2040年も意識した社会保障制度を構築することが必要になる。
平成期に積み残した課題を解消しつつ、社会経済情勢の変化を踏まえて国民の生活をどう保障するか、そのための財源や人材をどう確保するか。国民の広範な議論と合意形成が求められる。
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