ノー・ブレグジット(離脱撤回)という選択肢-経済合理性はあるが、分断は解消しないおそれ-

ノー・ブレグジット(離脱撤回)という選択肢-経済合理性はあるが、分断は解消しないおそれ-: ■要旨



英国のEU離脱まで残すところ90日余りとなったが、どのような経路で離脱するのかも、EUとどのような関係を築くのかも決まらないまま2018年は終わろうとしている。



メイ首相の協定案は、期限通りに秩序立った離脱を確実に実現する唯一の選択肢だが、離脱派と残留派の主張の折衷案であり、EUに対する妥協案でもあるために支持が低い。根本の原因は、英国議会が分裂し、折衷案に歩み寄ろうという機運がないからだ。特に強硬離脱派はアイルランドの国境管理のバックストップ(安全策)恒久化を懸念し、残留派や穏健離脱派は将来関係の曖昧さに不安を抱く。



メイ首相の協定案に基づく離脱の可否は保守党の強硬離脱派とメイ政権に閣外協力している北アイルランドの地域政党・DUPの翻意に掛かっている。



仮に、1月14日の週に議会がメイ首相の協定案を否定した場合は、ノー・ディール(合意なき離脱)、ノルウェー・プラス(単一市場残留、関税同盟残留)、ノー・ブレグジット(離脱撤回)といった選択肢が浮上する。



ノー・ディールは偶発的に起こり得る。特別立法などで混乱をある程度コントロールすることが可能だとしても、人々の暮らしや企業の活動の先行きの不透明感を長期化するおそれがあり、好ましい選択肢ではない。



ノルウェー・プラスの場合、EU離脱による激変を回避でき、EUにとっても受け入れる余地がある。しかし、主権の奪還というEU離脱の目的の殆どが失われてしまう問題がある。



ノー・ブレグジットは、議会の分断が深刻なこと、欧州司法裁判所(ECJ)が、英国が一方的に離脱通知を取り消すことができるとの判断を示したことで可能性が浮上してきた。



経済合理性では最善の選択肢だが、世界経済とEUの変化も後押しをする。しかし、改めて民意を問うことについて、多くの有権者が納得し、結果を受け入れる土壌がなければ、16年の国民投票が浮き彫りにした国内の分断を深めるおそれもある。



2019年の英国は、ノー・ディールというさらに不安定な環境に突き進むのか、メイ首相の協定に歩み寄るのか、それとも若い世代の声を尊重し、ノー・ブレグジットに向かうのか。



有力なシナリオがないことが、この問題の悩ましさだ。



■目次



1――はじめに−未だ不透明な離脱の道筋、将来の関係-

2――メイ首相の協定案−期限通り秩序立った離脱を実現する唯一の選択肢が

 なぜ支持されないか−

  1|背景としての議会の分裂

  2|アイルランドのバックストップへの懸念

  3|将来の関係の曖昧さへの不安

3――英国議会が協定案を否決した場合の選択肢

  1|ノー・ディール(合意なき離脱)

  2|ノルウェー・プラス(単一市場、関税同盟残留)

  3|ノー・ブレグジット(離脱撤回)

4――おわりに-世論調査が示す深い分断

<参考文献>英国時間2019年3月29日23時(中央ヨーロッパ時間2019年3月30日0時、日本時間30日午前8時)の英国の欧州連合(EU)離脱まで残すところ90日余りとなった。



しかし、英国が、どのような経路で離脱するのかも、EUとどのような関係を築くのかも決まらないまま2018年は終わろうとしている。



11月25日のEU首脳会議で「離脱協定1」と「将来の関係の政治合意(以下、政治合意)2」が正式に承認されたが、英国議会下院での採決は、大差の否決を回避するためのメイ首相の判断で、当初予定されていた12月11日から年明け後に延期されたからだ。



英国議会下院は、クリスマスと年初の休会が開けた1月7日に離脱協定の審議を再開、14日の週に採決を行う予定だ(図表1)。英国の離脱法が1月21日を交渉の決裂や合意なしを判断する期限としているため再延期は難しい。



メイ首相がEUとの17カ月にわたる協議の末にまとめた「離脱協定」と「政治合意」は、英国以外の27のEU加盟国の全会一致を必要とする「離脱期限の延長」をしない前提に立つ限り、秩序立った離脱を確実に実現する唯一の選択肢だ。



議会には「合意なき離脱(ノー・ディール)は回避すべき」とのコンセンサスがある。それでも、ノー・ディールにつながりかねない協定案への不支持が多数を占めるムードに変化の兆しはない。



以下では、そもそも、なぜメイ首相の協定案は支持されないのか、仮に英国議会下院が協定案を否決した場合に浮上する選択肢の実現可能性や問題点、さらに世論調査の結果などから、離脱選択から2年半が経過した英国の現状を考察する。

 




1 Agreement on the withdrawal of the United Kingdom of Great Britain and Northern Ireland from the European Union and the European Atomic Energy Community, as endorsed by leaders at a special meeting of the European Council on 25 November 2018(https://assets.publishing.service.gov.uk/government/uploads/system/uploads/attachment_data/file/759019/25_November_Agreement_on_the_withdrawal_of_the_United_Kingdom_of_Great_Britain_and_Northern_Ireland_from_the_European_Union_and_the_European_Atomic_Energy_Community.pdf
2 POLITICAL DECLARATION SETTING OUT THE FRAMEWORK FOR THE FUTURE RELATIONSHIP BETWEEN THE EUROPEAN UNION AND THE UNITED KINGDOM(https://assets.publishing.service.gov.uk/government/uploads/system/uploads/attachment_data/file/759021/25_November_Political_Declaration_setting_out_the_framework_for_the_future_relationship_between_the_European_Union_and_the_United_Kingdom__.pdf
 





2――メイ首相の協定案

1|背景としての議会の分裂

メイ首相の協定案は、後述の通り、ヒトの移動の自由を制限し、規制の権限を取り戻すために単一市場からは離脱するものの、財については自由貿易圏を形成するなど、離脱推進派と、もともとは残留を望んでいた穏健離脱派の折衷案という性格がある。



離脱による英国経済や社会へのダメージを抑えるべく、EU市場へのアクセスを確保するため、妥協した部分もある。



メイ首相の協定案は、離脱派と残留派の主張の折衷案であり、EUに対する妥協案でもあるために支持は低い。



しかし、英国が置かれている現状に照らし合わせると、メイ首相が強調するとおり、「実現可能で最善の合意(best possible deal)」でもある。



メイ首相の協定案への支持が低い根本の原因は、そもそもEU離脱のあり方を巡って、議会が分裂しており、折衷案に歩み寄ろうという機運がないことにある。



保守党内の強硬離脱派は、協定案はEUに譲歩し過ぎており、離脱の意味を損なうと批判する。メイ首相が12月11日の採決を延期したことへの反発から、12月12日にはメイ首相に対する保守党の下院議員による党首不信認投票が行われた。結果は、信認票が200、不信任票が117でメイ首相の続投が決まり、向こう1年間、メイ首相が信認を問われることもなくなった。しかし、メイ首相は、信認投票を前に、22年の次の総選挙は、党首として臨まない方針を示すことで、辛うじて逃げ切った面もある。保守党内でメイ首相の協定案に潜在的に不満を持つ議員の数は117と考えられる。



メイ政権に閣外協力している北アイルランド地域政党・民主統一党(DUP)は、協定が次節で触れる北アイルランドと英国の他の地域との分断につながることに不満を抱く。



残留派や野党から見れば、協定案は、国民投票での離脱派の公約が実現困難であることを証明するものであり、与党・保守党には政権を担う能力がないことを示すものである。最大野党・労働党は、9月の党大会で議会否決の場合、総選挙を求める方針を確認している。労働党の支持者は、党内には「再国民投票」で、もう一度民意を問い、残留への道を拓くべきとの意見も根強い。自由民主党(LDP)は17年の総選挙の時点でも「再国民投票」を主張しており、第2党のスコットランドの地域政党・スコットランド民族党(SNP)も、単一市場、関税同盟残留という「より穏健な離脱」を求める立場だ。離脱撤回への布石となる再国民投票も支持する(図表2)。2|アイルランド国境管理のバックストップの恒久化への懸念

保守党内の強硬離脱派やDUPが問題視するのは、離脱協定の付属議定書として盛り込まれたアイルランドの国境管理のバックストップだ。



バックストップとは、2020年末まで現状を維持する「移行期間」の終了時に、アイルランドと北アイルランドの国境の厳格な乖離を回避する代替案で合意しない場合に発動される安全策だ。



EU側は、バックストップとして、北アイルランドをEUの関税同盟に残す提案をしていたが、英国の分断につながるとの立場から英国が拒否、結局、協定案は、(1)北アイルランドを含む英国全体が「関税同盟」に残る3、(2)北アイルランドはEU単一市場での製品の自由な流通のための特別な規制の調和を図るという内容にまとまった。また、バックストップに代替する選択肢として、(3)現状を維持する「移行期間」を2020年末以降、最大2年間延長を認める条項も盛り込まれた4



「関税同盟」の詳細は、「英国とEUが構成する共同委員会が成文化する」ことになっているが、英国にとっては、(1)によって、移行期間終了後も通商権限が制限され、EUルールへの適合を求められる状況が長期化すること、(2)によって北アイルランドと英国の他の地域との規制の分断が生じること、(3)を選んだ場合でも、主権の制限が長期化するおそれがある(図表3)。とりわけ、強硬離脱派は、バックストップの停止を英国が一方的に停止できない5ことを警戒している。この規定により、EUが恒久的に英国を関税同盟に留め、EU規則に縛り続けるとの懸念が強い。12月4日に「議会侮辱にあたる」との動議が可決されたことを経て、12月5日に全文公開を迫られたコックス法務長官のメイ首相への法的助言6も、この懸念を裏付ける内容だった。



現実には、バックストップの恒久化は「行き過ぎた懸念」という面もある。EUは、そもそもバックストップとして英国全体が関税同盟に残留することは望んでいなかった。コックス法務長官の法的助言でも「EU法にとっても快適な安住の地では決してない」としている。いずれにせよ、離脱推進派のEUへの不信感はそれだけ強いということなのだろう。



12月11日の採決を延期し、12日の保守党の党首不信認投票を経て、13日の首脳会議に参加したメイ首相は、EUに対してバックストップの「期限を設ける」ことを要望したとされる。しかし、バックストップとしての意義を失わせる要望をEUが受け入れるはずがない。



結果として13日の首脳会議の声明7には、速やかに将来の関係の協議を進め、バックストップの発動を回避する努力をすること、発動された場合にも一時的な措置となるよう速やかに作業する方針を明記するに留まった。すでに離脱協定でも示されていることの確認に留まっており、懸念を払拭するには至っていない。





 




3 離脱協定のアイルランドと北アイルランドに関する議定書の第6条
4 離脱協定の第132条及びアイルランドと北アイルランドに関する議定書の第3条
5 離脱協定のアイルランドと北アイルランドに関する議定書の第20条
6 Groffrey Cox, Attorney General, “Legal Effect of the Protocol of Ireland/ Northern Ireland”, 13 November 2018(https://assets.publishing.service.gov.uk/government/uploads/system/uploads/attachment_data/file/761852/05_December-_EU_Exit_Attorney_General_s_legal_advice_to_Cabinet_on_the_Withdrawal_Agreement_and_the_Protocol_on_Ireland-Northern_Ireland.pdf)。当初政府は一部を非公開としていた。
7 European Council (2018)
3|将来の関係の曖昧さへの不安

アイルランドの国境管理のバックストップ恒久化への懸念と表裏一体ともいえる問題が、将来の関係が曖昧であることだ。



離脱協定が599ページにわたるのに対して、英国がEUを離脱した後の将来の関係の「政治合意」は26ページに過ぎない。政治合意は、経済パートナーシップ、安全保障のパートナーシップ、制度的枠組みなどもカバーしているため、経済パートナーシップに関わる章は10ページだけだ。



そもそも、将来の関係についての正式な協議は、離脱協定が発効した場合、離脱と同時に始まる移行期間に行うため、政治合意は、協議の叩き台に過ぎず、法的拘束力もない。



それでも、政治合意は、離脱協定の賛否を判断する重要な材料ではある。経済パートナーシップでは、包括的な自由貿易協定と幅広いセクターの協力を目指す。その主な内容は、(1)財については規制と通関手続きでの緊密な協力に基づく「自由貿易圏」を創設する、(2)サービス・投資では、相互の規制の権限を尊重しつつ、世界貿易機関(WTO)のルールやEUの自由貿易協定(FTA)を大きく上回るレベルの自由化を目指す、(3)金融サービスでは、相互の規制と意思決定の独立性を尊重する。同等性評価を20年末までに終える、(4)デジタル分野では、電子商取引、国境を超えるデータ移動の自由のための規定を設ける、通信サービスの相互アクセスを認める、(5)人の移動の自由に替わる枠組み(短期訪問者のためのビザなし渡航、研究・学業、職業訓練のための入国滞在など)を構築することなどである(図表4)。



これらの内容は、メイ政権が7月にまとめた白書の要望事項と大枠で一致し、産業毎の異なったアプローチを受け入れる姿勢が見える点はEU側の譲歩だ。EASA(欧州航空安全庁)、ECHA(欧州化学庁)、EMA(欧州医薬品庁)への第3国の参加は、18年3月に採択したガイドラインでは否定されていたが、政治合意には「英国の当局の参加の可能性を探る」と明記された。他方、白書で求めた内容のうち、「促進された関税アレンジメント」のための関税の代行徴収、金融の単一パスポートから離脱する代替策として求めた同等性評価の強化などは含まれていない8



政治合意の内容には、強硬離脱派と穏健離脱派がともに不満を抱く。強硬離脱派は「自由貿易圏」の構築が、バックストップと同様に事実上のEUルールへの恒久的な適合につながるリスクを懸念する。穏健離脱派は、財以外の分野でも、より深い関係を維持することが望ましいと考えている。法的拘束力がない政治合意は、「願い事リスト」に過ぎず、将来について何の確約もないままEUを離脱することを「目隠し離脱(blindfold Brexit)」という表現で労働党のコービン党首、SNPのスタージョン党首、緑の党のキャロリン・ルーカス党首らは問題視する。

 




8 HM Government (2018)。主な論点については、Weeklyエコノミスト・レター2018-7-24「見えない英国のEU離脱の道筋−メイ政権の妥協案には強硬派も穏健派もEUも不満−」(https://www.nli-research.co.jp/report/detail/id=59154?site=nli)をご参照下さい。
 





3――英国議会が協定案を否決した場合の選択肢

現時点では、労働党の議員の大半と、SNP、LDPの議員らは、総選挙や、より穏健な離脱、再国民投票を求めて協定案に反対することが見込まれている。



メイ首相の協定案に基づく離脱の可否は、保守党の強硬離脱派とDUPの翻意に掛かっている。その可能性は高いとは言えないものの、残っている。メイ首相は、協定案は、秩序立った離脱のための唯一の選択肢であり、否決すれば離脱そのものも危うくなるとして支持拡大を図っている。協定案を否決すれば、ノー・ディールのリスクを高めることになり、野党が望むとおり、事態収拾のために総選挙や再国民投票を迫られることになれば、政権交代や離脱撤回の可能性も出てくるからだ。



以下では、仮に、14日の週に英国議会下院がメイ首相案を否決した場合について整理しておきたい。



まず、手続きについては、英国の離脱法の第13条9が、「政府が21日以内に方針表明(第4項)」し、次に「方針表明から7日以内に中立的な表現による動議を提出(第6項)」つまり、7日以内に採決すると規定している。



しかし、議会の分裂状態を考えると、速やかに方針を決定し、足並みを揃えることができるのかという疑問がわく。離脱協定の英下院での審議初日の12月4日、保守党の親EU派のドミニク・グリーブ議員が提出した離脱法第13条に関する修正動議が321票対299票で可決されている。この動議の可決によって、政府が提出する動議の修正が可能になった。この修正は、法的に政府を拘束するものではないが10、政治的には意味があり、幾つかの選択肢が浮上し得るようになった。



実現可能性という点では、英国の選択を、「再交渉に応じない」としているEU側が承認するかも重要だ。



 




9 European Union (Withdrawal) Act 2018 (http://www.legislation.gov.uk/ukpga/2018/16/section/13/enacted
10 Institute for Government ,”Parliament’s 'meaningful vote' on Brexit”(https://www.instituteforgovernment.org.uk/explainers/parliament-meaningful-vote-brexit)
1|ノー・ディール(合意なき離脱)

メイ首相の協定案が否決された場合のノー・ディールの実現の可能性は高い。議会が分裂状態にあり、離脱の期限が近づいている。保守党の強硬離脱派も、ノー・ディールを望んでいる訳ではないが、分裂する議会が方針を決められない状態が続けば、偶発的にノー・ディールとなる。



ノー・ディールの場合、離脱とともにEU法の英国への適用が停止されることで、物流、金融、通信、英国在住のEU市民、EU在住の英国民の権利など幅広い分野に影響が及ぶ。英国政府とEUは、それぞれ、企業や家計にノー・ディールのリスクへの準備を促すための分野別の文書などを発行し、注意を喚起してきた。



ノー・ディールによる混乱は、特別な法的措置によって、ある程度コントロールすることが可能だ。EUは、合意を促すため、特別な法的措置の公表に慎重な姿勢をとってきたが、12月19日にはデリバティブ(金融派生商品)に関わる中央清算・決済業務や、中央預託業務(デポジタリー)、航空サービスなど、重大な混乱が生じうる14の領域に限定する形で行う、期間を限定した緊急対応措置を公表した11



メイ政権も、休暇を短縮し、1月2日にノー・ディールについて協議する閣議を開催すると伝えられている12。英国財務省はノーディールによる支出に備えて42億ポンドの資金を用意する。



ノー・ディールの影響は、特別立法や人員の増強などである程度コントロールできるとしても、人々の暮らしや企業の活動の先行きの不透明感を長期化するおそれがあり、好ましい選択肢ではない。



 




11 European Commission(2018)
12 “May cuts cabinet break short to rally Brexit deal support”, Financial Times, 24 December 2018 (https://www.ft.com/content/a211f012-06c1-11e9-9fe8-acdb36967cfc)
2|ノルウェー・プラス(単一市場、関税同盟残留)

ノルウェー・プラスは、EUと再交渉し、異なった条件でEUを離脱する場合の選択肢の1つだ。EUは離脱するものの、欧州経済領域(EEA)という既存の枠組みには残留して、EUの単一市場に参加する「ノルウェー型」に関税同盟への残留を付加する選択肢だ。



ノルウェー・プラスという選択肢のベネフィットは2つある。1つは、EU離脱による激変を回避できることだ。もう1つは、既存の枠組みがひな形となるため、EUにも受け入れる余地があることだ。EUは「離脱協定」の修正には応じない方針だが、法的拘束力のない「政治合意」の内容の修正であれば、応じる余地があり、ノルウェー・プラスの場合は対応可能だ。



問題は主権の奪還というEU離脱の目的の殆どが失われてしまうことだ。EEAに残留するのであれば、(1)財・サービス・資本・人の「4つの移動の自由」という単一市場の原則を切り離し、人の移動のみを制限することはできない、(2)EUの規則の一方的な受け入れ、(3)EU予算にも一定の拠出を求められる。関税同盟に残留すれば通商交渉の権限も制限される。



このようにノルウェー・プラスは、強硬離脱派にとっては受け入れ難い選択肢だが、強硬離脱派は議会の多数派ではない。ノー・ディールによる混乱回避のための選択肢となる可能性はある。



なお、労働党のコービン党首は、自身は筋金入りのEU懐疑主義者であるが、労働党内と支持者、とりわけコービン党首の人気を支える若い世代で再国民投票を支持する割合が高いこともあり、離脱戦略に対して曖昧な姿勢を貫いてきた。12月21日付けのガーディアン紙のインタビュー13では「党の方針を一方的に決めることはできない」としつつ「総選挙に勝利した場合には、関税同盟への残留についてEUと再交渉する」と述べ、離脱を推進する立場を示した。再国有化を主張するコービン党首は、インタビューの中で、EUの単一市場を構成するルールの1つである「国家補助規制」への懸念を表明している。労働党の方針はさらに変わる可能性があるが、今のところ、ノルウェー・プラスは、選択肢ではないようだ。





 




13 “Corbyn: Brexit would go ahead even if Labour won snap election”, The Guardian, 21 Dec 2018 (https://www.theguardian.com/politics/2018/dec/21/jeremy-corbyn-labour-policy-leaving-eu)
3|ノー・ブレグジット(離脱撤回)

ノー・ブレグジット、つまりEU離脱を撤回し、EUに残留する可能性は、あり得ないと見られていた。しかし、議会の分裂が深く、偶発的なノーディールが現実味を帯びるに連れて、混乱収拾のためにもう一度民意を問い、結果次第では、EUに残留するという可能性も排除できなくなっている。



12月10日に欧州司法裁判所(ECJ)が、「離脱協定が未発効ないし締結されていないか、2年間の期限が(規定に従って延長されるにしても)過ぎていない限り、当該国の憲法上の要請に従って、EU諸国の同意なしで一方的に離脱通知を取り消すことができる」との判断を示した14。ECJの判断の重要な点は、離脱前であれば一方的な撤回が可能というだけでなく、「当該加盟国の加盟国としての地位に関する条件を変更しない」としている点だ。英国は、ユーロを導入しない権利やEU予算からの払い戻し(リベート)などの特別な権利を有する加盟国だった。離脱後の再加盟の場合には、これらの権利を得ることはできないが、離脱前に撤回すれば、特別な加盟国としての地位を維持できることは、離脱撤回を促す材料となる。



ECJが、通知撤回の条件とした「憲法上の要請に従う」という要件を満たす手続きとしては、「国民投票」と共に、再国民投票の実施を争点とする「総選挙」が考えられる。



国民投票の問題は、関連法の整備などのために22週間は必要と見られることだ。国民投票の結果に対応する時間も必要になる。それだけの離脱期限の延長を、英国を除くEUの27の加盟国が全会一致で承認するかは不透明だ。



国民投票にあたっては、どのような文言で行うかという問題もある。「協定案による離脱」か「ノー・ディール」か「残留か」の3択の場合、離脱票が2つに割れるため不利になる。EUが、「ノー・ディール」の是非を問う国民投票の結果を待つために、離脱期限の延長に応じることは難しいように思える。



このようにノー・ブレグジットの実現可能性は高くはないが、経済合理性という面では最善の選択肢だろう。離脱派が主張したように、英国経済と財政が、EUの規制から離れ、EU予算への拠出が減ることで好転する兆候は今のところない。国民投票前の16年3月公表の「2016年予算案」15で財政責任庁(OBR)は実質GDP見通しを18~20年の平均2.1%としていたのに対して、18年10月公表の「2018年予算案」16の見通しは18年1.3%、19年1.6%、20年1.4%で、その後も21年1.4%、22年1.5%、23年1.6%と低空飛行が続く。「2016年予算案」では、19年度(19年4月~20年3月)と予測していた財政収支の黒字転化は、「2018年予算案」では23年度時点でも困難と見られる。政府債務残高の対GDP比の削減ペースも遅れる。



16年の国民投票前の多くの機関が予測していたように17、英国経済にとって、EU離脱は、どのような形をとるにせよマイナスだが、EUとの緊密な関係を保つ方がダメージは少ないとの評価も変わっていない。例えば、18年11月に英国政府が公表したEU離脱の長期にわたる経済的な影響に関する試算18では、ノー・ディールの場合は、新たな関係が始動してからのおよそ15年間で、「関税」と「非関税障壁」の出現がGDPを7.7%(レンジの中央値、以下同じ)押し下げるとしている(図表5)。単一市場圏内の移民純流入をゼロとした場合の影響は9.3%まで拡大する。通常のFTAであれば4.9%、ノルウェー型のEEA残留なら1.4%、将来の関係の政治合意に反映された英国の白書の要望通りの内容であれば0.6%の押し下げ効果に限定される。EU離脱によるベネフィットとされる「新たな貿易協定」と「規制の自由度」は経済の押し上げ要因とされているが、それぞれ0.1%~0.2%で、EUの単一市場との間に障壁ができる影響に比べて限定的だ。英国の中央銀行のイングランド銀行(BOE)が18年11月に出した報告書19も「どのように離脱するにせよ、離脱しない場合よりも低成長になる。幾つかのシナリオのうち、合意なき無秩序な離脱がマイナスの影響が最も大きくなる」という結果は同じだ。英国がEU離脱を選択した後に生じた世界経済とEUの変化も、ノー・ブレグジットを後押しする。世界経済の構図は、16年の大統領選挙で勝利したトランプ大統領の米国第一主義政策で大きく変わった。中間選挙を終えて、通商・安全保障の両面で、一段と保護主義の度合いを強めそうだ。国家資本主義で世界経済におけるプレゼンスを拡大してきた中国に対しては、トランプ政権ばかりでなく、米国議会も警戒を強めている。米中の緊張関係は容易には解消しない見通しだ。国民投票の前から指摘されてきたとおり、英国単独で米中という大国と向き合う困難さは、一段と増している。



EUも、離脱推進派が嫌ったドイツ主導、絶えざる深化を追求する傾向は薄まっている。EU加盟国では、ハンガリー、ポーランドに続き、イタリアでも「EU懐疑主義」とみなされる政権が誕生している。これらの国の政権は、EU離脱を主張するのではなく、EU改革を求める。主権の制限を嫌う一方、関税同盟や単一市場の利益を手放すつもりはない。言わば、EUの加盟国としての「いいとこどり」を指向するスタンスは、EU加盟国としてのこれまでの英国と重なる。



前項で振れた経済・財政への影響という面でも、世界経済とEUの変化という面でも、ノー・ブレグジットという選択肢は魅力的に見える。



 




14 Judgment of the Court (Full Court) of 10 December 2018, Andy Wightman and Others v Secretary of State for Exiting the European Union, Request for a preliminary ruling from the Court of Session, Inner House, First Division (Scotland)


Reference for a preliminary ruling — Article 50 TEU — Notification by a Member State of its intention to withdraw from the European Union — Consequences of the notification — Right of unilateral revocation of the notification — Conditions, Case C-621/18 (http://curia.europa.eu/juris/document/document.jsf?text=&docid=208636&pageIndex=0&doclang=EN&mode=lst&dir=&occ=first∂=1&cid=3988303)
15 HM Treasury (2016)
16 HM Treasury (2018)
17 16年の国民投票前の議論については、基礎研レポート2016-5-18「近づく英国の国民投票-経済的コストへの警鐘が相次いでも落ちないEU離脱支持率(https://www.nli-research.co.jp/report/detail/id=52928?site=nli)」をご参照下さい
18 HM Government (2018b)
19 Bank of England (2018)
 





4――おわりに-世論調査が示す深い分断-

国民投票から2年半が経過し、離脱期限が3カ月後に迫って、様々な選択肢が浮上している現状を、英国の世論はどう受け止めているのか。



実は、世論調査の結果は一様ではない。調査会社・ユーガブが12月17日に公表した世論調査20を見る限りでは、英国民はノー・ディールを望んでおらず、再国民投票があれば、ノー・ブレグジットが選択される可能性が高い。同調査では、ノー・ディールは「悪い」が49%、「良い」が16%、「違いがない」が19%、「わからない」が16%である。残留か協定案による離脱かノーディールかの3つの選択肢による国民投票を「支持」する割合は44%、「不支持」が35%、「わからない」が21%を占める。「議会が決められない場合」という前提であれば、3つの選択肢による国民投票を「支持」する割合が50%に上昇する。「もう一度国民投票があったら、どのように投票するか」という問いに対する回答では「残留」が46%、「離脱」が37%を占める。



しかし、調査の結果は、設問によって、かなり違ったものになる。調査会社・オピニアムが12月21日に公表した世論調査21では、「議会が否決した場合、次に何が起こるべきか」という問いに対する最も多い回答は「ノー・ディール(追加の投票を行わず、合意がないままEUを離脱する)」で全体の29%を占めた(図表6)。この結果を見る限り、財務省やBOEの試算結果や政府が発する注意喚起はあまり効果を発揮していない。16年の国民投票の際、離脱の悪影響を強調する残留派のキャンペーンが「恐怖プロジェクト」と揶揄され、軽視されたのと同じように受け止められているのかもしれない。メイ首相が、EUとの将来の関係について、単一市場からも関税同盟からも離脱する方針を初めて明らかにした17年1月のランカスター・ハウスでのメイ首相の演説に盛り込まれた「ノー・ディールは悪いディールよりもまし(No deal is better than a bad deal)」というフレーズが、離脱支持者の間に定着しているからかもしれない22。オピニアムの議会否決後の選択肢に関する調査で、「ノー・ディール」に続くのが、「協定案による離脱か残留かを問う国民投票」で全体の20%を占める。同社の14日公表の調査では「ノー・ディール」と並んでいたが、21日の調査では低下した。民意を問うべきという票が「総選挙」や「協定案による離脱か合意なき離脱かを問う国民投票」に割れることもあり、残留という選択肢を含む国民投票への支持は低くなっている。



ただ、共通する傾向として観察されるのは、2016年の国民投票が浮き彫りにした、英国内の地域、世代、職業や階層などによるEU離脱に対する考え方の違いは、2年半が経過しても余り変わっていないことだ。ユーガブの調査で「残留」を支持すると答えた人の大半は、16年の国民投票で残留に票を投じており、「離脱」についても同様だ。年齢層が高くなるほど、離脱を支持する割合が高くなる。地域別にはロンドンとスコットランドで残留支持が高い点も同じだ。オピニアムの調査では、16年の国民投票で離脱を支持した人々の51%がノー・ディールを支持する。年齢層が高くなるほど、ノー・ディールへの支持が高くなる傾向があり、65歳以上、引退者は、およそ半数がノー・ディールを支持する。



逆に、国民投票や総選挙など、「何らかの形で民意を問うべき」とする割合は、残留に票を投じた人々の間で高い。オピニアムの世論調査では、全体では「はい」が46%、「いいえ」が41%だが、残留に票を投じた人に限れば、「はい」が69%、「いいえ」が18%である。民意を問うことへの賛成は、年齢層が若いほど高く、年齢層が高くなると低くなる傾向が顕著だ(図表7)。ノー・ブレグジットは、経済合理性では最善の選択肢だが、改めて民意を問うことについて、多くの有権者が納得し、結果を受け入れる土壌がなければ、国内の対立は解消せず、分断を深めるおそれもある。



エリザベス女王は、12月25日のテレビを通じたクリスマス演説で「たとえ、深い意見の対立があっても、他の人々を同じ人間として敬意を持って扱うことは、常に理解を深める第一歩となる」として、分断の修復を訴えた。



2019年の英国は、分断を抱えたままノー・ディールというさらに不安定な環境へと突き進むのか、残留派と離脱派の折衷案、EUとの妥協案による秩序立った離脱を支持することで歩み寄り、分断の修復へと動きだすのか。それとも、メイ首相の協定案でEU離脱という現実の厳しさに直面したことで、もう一度、民意を問おうという機運が高まり、今度は次世代を担う若い世代の声を尊重し、ノー・ブレグジットに向かうのか。



1月中旬の下院の採決に向けてはなお紆余曲折がありそうだ。有力なシナリオがないことが、この問題の悩ましさだ。



 




20 18年12月14~15日に1660人を対象に行った調査(https://d25d2506sfb94s.cloudfront.net/cumulus_uploads/document/x6h9ykoolf/HopeNotHate_Results_181217_w.pdf)。
21 18年12月18~20日に2000人を対象に行った調査。なお同社の世論調査の結果は、16年の国民投票で最も結果との差が小さかった(http://www.britishpollingcouncil.org/performance-of-the-polls-in-the-eu-referendum/)。
22 研究員の眼2018-8-06「高まる無秩序なBrexitリスク-「悪い協定を結ぶよりも協定を結ばない方がまし」という言葉の重み」(https://www.nli-research.co.jp/files/topics/59279_ext_18_0.pdf?site=nli)もご参照下さい。
 





<参考文献>

・Bank of England (2018), “EU withdrawal scenarios and monetary and financial stability, A response to the House of Commons Treasury Committee”, November 2018 ( https://www.bankofengland.co.uk/-/media/boe/files/report/2018/eu-withdrawal-scenarios-and-monetary-and-financial-stability.pdf?la=en&hash=B5F6EDCDF90DCC10286FC0BC599D94CAB8735DFB)



・European Commission (2018), ”Brexit: European Commission implements “no-deal” Contingency Action Plan in specific sectors “ Press release, 19 December 2018(http://europa.eu/rapid/press-release_IP-18-6851_en.htm



・European Council (2018)European Council (Art. 50) conclusions, 13 December 2018(https://www.consilium.europa.eu/en/press/press-releases/2018/12/13/european-council-art-50-conclusions-13-december-2018/



・Department for Exiting the European Union(2018), “TECHNICAL EXPLANATORY NOTE: ARTICLES 6-8 OF THE PROTOCOL ON NORTHERN IRELAND” , Policy paper, 14 November 2018 (https://assets.publishing.service.gov.uk/government/uploads/system/uploads/attachment_data/file/756375/14_November_Technical_Explanatory_Note_Arts_6-8_Northern_Ireland_Protocol.pdf



・HM Government(2018a), “The Future Relationship between the United Kingdom and the European Union”, July 2018(https://assets.publishing.service.gov.uk/government/uploads/system/uploads/attachment_data/file/725288/The_future_relationship_between_the_United_Kingdom_and_the_European_Union.pdf



・HM Government(2018b), “EU Exit Long-term economic analysis”, November 2018 (https://assets.publishing.service.gov.uk/government/uploads/system/uploads/attachment_data/file/760484/28_November_EU_Exit_-_Long-term_economic_analysis__1_.pdf)



・HM Treasury (2016), ““BUDGET 2016”, 16 March 2016 (https://assets.publishing.service.gov.uk/government/uploads/system/uploads/attachment_data/file/508193/HMT_Budget_2016_Web_Accessible.pdf)



・HM Treasury (2018), “BUDGET 2018”, 29 October 2018 (https://assets.publishing.service.gov.uk/government/uploads/system/uploads/attachment_data/file/752202/Budget_2018_red_web.pdf



 







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