健康経営の論点を探るー政策・制度的な視点で関係者の役割を再整理する

健康経営の論点を探るー政策・制度的な視点で関係者の役割を再整理する: 従業員の健康づくりに力を入れる「健康経営」*に対する関心が高まっており、一層の拡大を図る上では、関連する政策・制度に立ち返った議論が求められる。本レポートでは、職場に出勤しているのに心身状態の悪さから生産性を上げられない「プレゼンティーズム」(presenteeism)という考え方を重視することで、単なる医療費適正化や生活習慣病対策にとどまらない論点を指摘する。その上で、健康保険法や労働安全衛生法など関連制度の考え方を踏まえつつ、経営者、従業員、保険者(保険制度を運営する主体)などに求められる役割を論じる。まず、健康経営の目的を見ると、旗振り役の経済産業省は「公的保険外の予防・健康管理サービスの活用(セルフメディケーションの推進)を通じて、生活習慣の改善や受診勧奨等を促すことにより、(1)国民の健康寿命の延伸、(2)新産業の創出、(3)あるべき医療費・介護費の実現」を挙げている*1



しかし、NPO法人健康経営研究会の定義によると、「『企業が従業員の健康に配慮することによって、経営面においても大きな成果が期待できる』との基盤に立って、健康管理を経営的視点から考え、戦略的に実践することを意味しています。従業員の健康管理・健康づくりの推進は、単に医療費という経費の節減のみならず、生産基礎研レポート性の向上、従業員の創造性の向上、企業イメージの向上等の効果が得られ、かつ、企業におけるリスクマネジメントとしても重要」としている*2。これは単に医療費適正化を目指しているのではなく、「会社が経営戦略の一環として健康づくりに取り組む→従業員の活力向上→会社の生産性向上や組織の活性化→業績向上や株価上昇」という論理構造に立っており、従業員の健康づくりと生産性向上が中心に据えられなければならない。



中でも、従業員の健康や会社の生産性を損なう「プレゼンティーズム」がカギを握ると考えている。以下、東京大学政策研究ビジョンセンターの研究成果などを用い、重要性を論じる。プレゼンティーズムは「アブセンティーズム( 病欠、absenteeism)」から作られた造語であり、いくつかの研究はプレゼンティーズムが従業員の健康状態と会社の生産性を下げていると指摘している。その一例として、東大が2016年2月に公表した試算は医療費、健康保険の傷病手当金、労働災害保険の補償費(労災給付金)など直接的なコストに加えて、アブセンティーズム、プレゼンティーズムなどの間接的なコストを総称して「健康関連総コスト」と位置付けた上で、その割合を可視化した。その結果は図表の通りであり、医療費は15.7%、アブセンティーズムが4.4%にとどまり、相対的プレゼンティーズムが約8割を占めた。



つまり、健康経営で医療費適正化だけを議論するのは部分最適に過ぎず、プレゼンティーズムを意識する必要がある。特に従業員のプレゼンティーズムを引き起こす可能性が高いメンタルヘルス対策は最も重要となる。では、プレゼンティーズム対策を含めて、健康経営を進める上で、どんな対応策が必要なのだろうか。企業内の健康増進と生産性向上について、(1)ヘルスケア領域、(2)労働安全衛生、(3)健康管理、(4)人的資源開発――という4つの領域があるとして、相互の連携が必要という意見が出ている*3通り、従業員を含めた企業内外の関係者との連携が求められる。



実際、健康経営に絡む制度である健康保険法や労働安全衛生法は労使協力を想定している。具体的には、前者で設置される健康保険組合(健保組合)は経営者と従業員による自治を内在しているほか、後者で求められる安全対策についても従業員と経営者の代表で構成する委員会を設置することを義務付けている。以下、主な関係者ごとに求められる役割を考察する。

 まず、経営者の責任としては、会社の生産性向上や組織の活性化に向けて、従業員の勤務状況や健康上の不安などを把握するとともに、健康や働き方、周囲との環境など従業員の個別性に配慮しつつ、そこから浮かび上がる課題を解決する努力が必要となる。



さらに、従業員の主体的な参加も必要になる。健康経営で実施される対策について、従業員の理解や協力、支持を得られなければ、経営者サイドの空回りになる危険性がある。その際には労働組合に加入していない非正規雇用者の意見も考慮する必要がある。



近年、会社と保険者の連携による健康経営が「コラボ・ヘルス」として注目されている通り、保険者の役割も整理する必要がある。大企業の従業員を対象とした健保組合の場合、保険料を徴収・管理したり、保険料の水準を決定したりするだけでなく、従業員の健診データを持っており、医療費適正化を果たす上で健保組合の役割は見逃せない。会社では手が届きにくい被扶養者を被保険者としてカバーしている点も強みである。



だが、健保組合を持っている会社は僅かであり、それ以外の会社は協会けんぽとの関係を意識する必要がある。非正規雇用者の一部は国民健康保険に加入しており、その連携も焦点になる。



このほか、医師や看護師、保健師などの専門職、特に従業員50人以上の事業場などに配置が義務付けられている産業医のノウハウや知見を活用することが必要になる。



国の役割としても、▽先進的な会社の表彰、▽先進事例の情報提供・情報共有、▽中小企業への支援――などが想定され、健康経営に取り組む会社を認定する「健康経営銘柄」などの施策を継続・充実させる必要がある。健康経営で求められるのは企業の創意工夫である。最後に、健康経営の「原点」となる考え方を提示したい。



明治期以降、近代化を進めた日本で最初に勃興した産業の一つは紡績業だった。しかし、紡績工場で働く「女工」と呼ばれた女性労働者の労働環境は劣悪であり、相当数の女性が健康を害し、その多くが結核に感染した。このため、政府は労働時間の制限などを盛り込んだ工場法を1916年に施行した。実は、本レポートで触れた健康保険法や労働安全衛生法の淵源を辿ると、全て工場法に繋がっている。



しかし、その以前から鐘紡の武藤山治は労働環境の改善に乗り出しており、▽末端の労働者から意見を募る「注意凾」の設置、▽診療所の開設、▽ドイツのクルップ製鋼会社を模倣した共済組合の整備――などに努め、鐘紡の共済は1922年に制定された健康保険法の淵源の一つとなった。こう考えると、武藤は健康経営の先駆け的な存在と言えるかもしれない。



そして武藤は民間主体の必要性を主張しており、健康保険法の制定についても国家による介入を否定していた。具体的には、健康保険法を審議する1922年1月16日の労働保険調査会の席上、武藤は「民間組合に国家は干渉すべきではなく、国家の手を借りず、実行できるのであれば、それに任せるほうが良い」と述べている。



この指摘は健康経営にも通じるのではないだろうか。健康経営の取り組みは業種、規模、従業員の働き方などで大きく異なる分、政府が一律に介入、関与することは難しく、企業の自主性が第一に据えられるべきである。従業員など多様な関係者と協力しつつ、その役割や強みを引き出すような形で、企業の経営者が創意工夫を発揮することを期待したい。



詳細はウエブサイトの拙稿「健康経営の論点を探る-政策・制度的な視点で関係者の役割を再整理する」参照https://www.nli-research.co.jp/report/detail/id=60018

 




*健康経営はNPO法人健康経営研究会の登録商標。
*1 経済産業省資料参照http://www.meti.go.jp/policy/mono_info_service/healthcare/downloadfiles/180710kenkoukeiei-gaiyou.pdf
*2 健康経営研究会ウエブサイト参照。http://kenkokeiei.jp/whats
*3 Robert H.Rosen(1991)“The HealthyCompany”[宗像恒次監訳(1994)『ヘルシー・カンパニー』産能大学出版部]。






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