2019年度年金額改定の意味- 消費税増税前に調整の“ツケ”を解消し、健全化ペースが回復
2019年度年金額改定の意味- 消費税増税前に調整の“ツケ”を解消し、健全化ペースが回復: ■要旨
2019年1月18日に、2019年度の公的年金額が前年度と比べて+0.1%増額されることが発表された1。物価や賃金が上昇している中で小幅の伸びにとどまったが、どのように理解すれば良いのだろうか。本稿では、今回の年金額改定と、今後注目される消費税率の引上げと年金額改定の関係について、その意味するところを考える2。
■目次
1 ――― 小幅の増額改定になった理由:現役世代への配慮
1| 年金額改定の全体像:物価や賃金の変化への対応と、健全化のための調整との合算
2| 物価や賃金の変化への対応:現役世代に配慮して、物価上昇より小幅の改定
3| 年金財政健全化への対応:今年度分に加えて、前年度からの繰越し分も調整完了
2 ――― 行動経済学の観点からの注意:名目額は増えても、実質的には目減り
1| 行動経済学からの教訓:「貨幣錯覚」に要注意
2| メディアの対応:増加率の「抑制」で注意喚起
3 ――― 今後の注目点:2020年度と2021年度の年金額改定と消費税率引上げとの関係
1| 税率引上げ時期と年金額改定の関係:今年10月の引上げは2020~21年度の
改定に影響
2| 調整率の見通し:全被保険者(加入者)数は微増で、調整率は-0.2%程度
3| 年金改定と税率引上げの関係の見通し:2020~21年度の調整率は自然増の
内枠の見込み1|年金額改定の全体像:物価や賃金の変化への対応と、健全化のための調整との合算
現在の公的年金額の改定(毎年度の見直し)は、2つの要素から構成されている。1つ目は、物価や賃金の変化に対応して、年金額の価値を維持するための見直しである。これが年金額改定の本来的な意義である(以下では「本則の改定」と呼ぶ)。それに加えて、現在は年金財政を健全化している最中なので、年金財政健全化のための調整(いわゆるマクロ経済スライド)も加味される。以下では、この2つの仕組みの意味するところを順に見ていく。2|物価や賃金の変化への対応:現役世代に配慮して、物価上昇より小幅の改定
今回の年金額改定の基礎となる物価や賃金の変化は、物価が+1.0%、賃金が+0.6%であった3。このように物価と賃金がともに上昇し、かつ物価の伸びが賃金の伸びを上回っている場合は、本則の改定率に賃金の伸び率(賃金変動率)を使うルールになっている(図表2)。そのため、2019年度の本則の改定率は、賃金変動率と同じ+0.6%となった4。
この仕組みは、世代間のバランスへの配慮と理解できる。年金受給者の購買力を維持するためには、年金額は物価の伸びにあわせて見直されるべきである。しかし、現役世代の賃金が物価の伸びほどは増えていない状況で年金額を物価の伸びにあわせて見直すと、高齢世代が現役世代よりも相対的に有利になる。そこで、年金額の伸びを現役世代の賃金の伸びに揃えることで、賃金が物価の伸びほど増えない現役世代の苦しい状況を、高齢世代にも分かち合ってもらう形になっている。
3 年金額改定の基礎となる物価上昇率は「物価変動率」と呼ばれ、前年(暦年)の物価上昇率(消費者物価指数(総合)の上昇率)が使われる。賃金上昇率は「名目手取り賃金変動率」(もしくは短縮して賃金変動率)と呼ばれ、前述の物価変動率に、実質手取り賃金上昇率(2~4年度前の平均)を加味した値が使われる。なお、実質手取り賃金上昇率に使われる賃金は厚生年金の保険料や年金額の計算に使われる「標準報酬」で、最近話題になっている「毎月勤労統計」の結果は使われていない。
4 賃金の伸びが物価の伸びを上回っている場合は、新しく受け取り始める年金額(厳密には67歳以前)と受け取り始めた後の年金額(厳密には68歳以降)とで、本則の改定率が異なる。しかし、今回のように物価の伸びが賃金の伸びを上回っている場合は、両者に同じ値が使われる。3|年金財政健全化への対応:今年度分に加えて、前年度からの繰越し分も調整完了
年金財政健全化のための調整(いわゆるマクロ経済スライド)は、少子高齢化に対応するものである5。2019年度分の調整率は-0.2%だが、2018年度から繰り越した未調整分-0.3%も加味された。その結果、調整後の改定率は、本則の改定率+0.6%から2つの調整分(-0.2%と-0.3%)を差し引いた、+0.1%になった(図表3)。
前年度までの未調整分の繰越しは昨年度から始まり、繰り越した未調整分が加味されるのは今年度が初めてである。2017年度までは未調整分が繰り越されていなかったため、年金財政の健全化が遅れる一因となっていた。今回は当年度分に加えて繰越し分も調整できたため、年金財政健全化に向けて昨年度の遅れを取り返した形になっている。
この仕組みも、前述した本則の改定と同様に、世代間のバランスへの配慮と理解できる。調整率(絶対値)が物価や賃金の変化率(本則の改定率)を上回った分が年金額の改定に反映されないのは、年金額が前年度割れになるのを避けるための特例で、高齢者の生活に配慮して設けられた仕組みである。しかし、未調整分を繰り越さずに年金財政の健全化が遅れると、将来の年金水準が低下する原因になる。そこで、未調整分を繰り越して物価や賃金の伸びが大きい際に精算することで、高齢者への配慮と現役世代への配慮のバランスをとっているのである6。
5 年金財政健全化のための調整率(マクロ経済スライドのスライド調整率)は、公的年金の全被保険者(加入者)数の増加率の実績(2~4年度前の平均)と、引退世代の平均余命の伸びを勘案して設定された一定率(-0.3%で固定)との合計です。各年度の全被保険者(加入者)数の増加率は、各月の前年同月比の年度平均が使われる。
6 本来は、未調整分を繰り越す現在の制度よりも、調整率と本則の改定率の大小関係に関係なく常に調整を実施する仕組み(マクロ経済スライドの常時完全適用)の方が、高齢世代にとっても望ましいと考えられる。現在の制度では、物価や賃金の伸びが大きい時に、当年度分と累積した繰越し分(いわば溜まったツケ)の両方の調整が行われるため、物価が大きく上がっている時に年金額が大幅に目減りして、生活が苦しくなる可能性がある。一方、常に調整する仕組みでは、未調整分が累積しないため(言い換えればツケが溜まらないため)、物価が大きく上がっている時でも現行制度よりも小幅な目減りで済む形になる。
2 ―― 行動経済学の観点からの注意
1|行動経済学からの教訓:「貨幣錯覚」に要注意
人間が物事を受け止めるときに気をつけなければいけないのが、錯覚である。普段の生活では、物の長さを判断するときなどに錯覚の問題がよく指摘されるが、お金の価値を判断するときにも錯覚がある。経済学と心理学を融合した行動経済学では、人間には「貨幣錯覚」と呼ばれる傾向があることが知られている。「貨幣錯覚」とは、「実質の価値(実質額)よりも名目の価値(名目額)に影響される」ことを指す。
今回の年金改定率は、4年ぶりのプラスになっている。そのため、2019年度分として銀行口座に振り込まれる年金の額は、前年度分よりも多くなる7。貨幣錯覚の傾向が強いと、この4年ぶりの増額に目を奪われてしまい、財布の紐が緩むかも知れない。しかし、今回の年金改定率は物価や賃金の伸びを下回っており、来年度の年金額は今年度より実質的に目減りする8。財布の紐を緩めるどころか、逆に引締める必要があるのだ。
7 なお、公的年金は2か月分の合計が奇数月の15日に振り込まれるため、2019年度分の最初の振込みは2019年5月15日になる。
8 厳密には翌年度の物価や賃金との対比で目減りを判断する必要があるが、ここでは簡略化して、年金額改定の基礎となる物価や賃金の変化との対比で述べている。2|メディアの対応:増加率の「抑制」で注意喚起
貨幣錯覚を考慮して、近年のメディアでは注意を促す表現が使われている。今回の改定では「0.1%増」という名目の増加率に、4年前の増額時と同様に、「抑制」などの言葉が併記してある。これにより、「増加だが、本来あるべき姿よりも低めになっている」というニュアンスが感じられる。1|税率引上げ時期と年金額改定の関係:今年10月の引上げは2020~21年度の改定に影響
年金額の改定では、物価変動率と賃金変動率のいずれにも、前年(暦年)平均の物価上昇率が影響する9。そのため、2019年10月に実施される消費税率の引上げは、2020年度の改定に2019年9~12月の3か月分、2021年度の改定に2020年1~9月の9か月分が、影響する。
弊社の経済見通し(2018年12月10日公表)では、消費税率の引上げに伴う物価上昇率(前年比)の上昇は+1%ポイント程度と見込んでいる。仮に+1%ポイントだとすると、2020年度の改定には+0.25%ポイント(=+1%×(3か月÷12か月))、2021年度の改定には+0.75%ポイント(=+1%×(9か月÷12か月))、影響する計算になる(図表5)。
9 p.2で述べた本則の改定率は、物価変動率と賃金変動率の大小関係などによって物価変動率と賃金変動率のどちらが採用されるかが変わる。しかし、本稿の脚注3に記載したとおり、賃金変動率の算定には物価変動率が反映されるため、物価変動率と賃金変動率のどちらが採用されても、物価変動率(前年(暦年)平均の物価上昇率)が影響すると言える。
物価変動率がプラスで賃金変動率がマイナスのケースは本則の改定率がゼロとなるため物価変動率が影響しないが、近年の賃金の動向や、消費税率の引上げが影響する期間では物価変動率が+1%以上になる見通しであることを踏まえれば、このケースになる可能性は低いと思われる。2|調整率の見通し:全被保険者(加入者)数は微増で、調整率は-0.2%程度
このように、消費税率の引上げに伴う物価の上昇は2020~2021年度の年金額の改定に影響するが、最終的にどの程度影響するかは、年金額改定のもう1つの要素になっている年金財政健全化のための調整率(マクロ経済スライドのスライド調整率)の大きさによって決まる。
年金財政健全化のための調整率は、公的年金の全被保険者(加入者)数の増加率の実績(2~4年度前の平均)と、引退世代の平均余命の伸びを勘案して設定された一定率(-0.3%で固定)との合計である。公的年金の全被保険者数の増加率の推移を見ると、2009年度末(2010年3月)から減少率の縮小が続き、2016年度末(2017年3月)には増加に転じた(図表6)。この動きに連動して10、年金財政健全化のための調整率のマイナス幅も縮小を続け、今回(2019年度)の改定では-0.2%にとどまった。調整率は、全被保険者数の増加率に平均余命の伸び分の-0.3%を加えたものなので、今回(2019年度)の改定で用いられた全被保険者数の増加率(2015~2017年度の平均)は、逆算すれば+0.1%(=(-0.2%)-(-0.3%))だったことになる。
2018年度の被保険者数(共済以外)の増加率11は、±0.0%~+0.1%で推移している。そのため、2020~2021年度の全被保険者数の増加率(2~4年度前の平均)は+0.1%程度になると思われる。調整率は、これに平均余命の伸び分(-0.3%)を加え、-0.2%程度になると見込まれる。
10 年金財政健全化のための調整率を算出する際の被保険者数の増加率(2~4年度前の平均)は、図表6に示した年度末の増加率ではなく、年度平均(12か月の被保険者数の平均)の増加率が用いられる。
11 2018年度の各月については公務員共済等の動向が分からないため、共済以外の動向を確認。共済以外の被保険者数は公的年金全体の93%を安定的に占めているため、共済以外の被保険者数の増加率は全被保険者数の増加率とほぼ一致する。3|年金改定と税率引上げの関係の見通し:2020~21年度の調整率は自然増の内枠の見込み
最終的な年金額の改定率は、本則の改定率に、年金財政健全化のための調整率(マクロ経済スライドのスライド調整率)を加味したものである。消費税率引上げの影響を考えるためには、物価変動率(前年(暦年)平均の物価上昇率)と調整率との関係に着目する必要がある。
2020年度の改定では、消費税率引上げの影響は3か月分だけ物価変動率に反映する。弊社の経済見通しに基づけば、物価変動率は+1.0%になる見通しで、そのうち消費税率の引上げの影響を除く自然増が+0.75%分、消費税率の引上げの影響(3か月分)が+0.25%分となる(図表7)。一方、2020年度の調整率は-0.2%程度で、物価変動率のうち自然増分(+0.75%)の内枠になる計算である。調整率が自然増分の内枠ということは、調整率が消費税率の引上げの影響分にまでは食い込んでいないこと、言い換えれば、消費税率の引上げの影響分(+0.25%)は調整後の改定率(+0.8%)にきちんと反映されている、という意味である。2021年度の改定についても、調整率は-0.2%程度で、物価変動率のうち自然増分(+0.95%)の内枠になる計算で、消費税率の引上げの影響分(+0.75%)は調整後の改定率(+1.5%)にきちんと反映されていると言える。消費税率の引上げや物価上昇の際には、「年金生活だから大変」という主旨のインタビューを見かける印象がある。確かに、年金額の改定では前年の物価上昇率を基にするため、物価上昇分の反映が後付けになる12。また、年金財政健全化のための調整率(マクロ経済スライドのスライド調整率)や本則改定の特例があるため、物価上昇分のすべてが年金改定率に反映されるとは限らない。しかし、基本的には物価の変動に自動的に対応する仕組みになっており、賃金変動率の計算に直前年の物価上昇率を反映させるなどの工夫も見られる。現役世代の給与改定が会社の状況や意向に左右されることを考えれば、「年金生活者の方が大変」とは言い切れないと思われる。
12 例えば今回の消費税率引上げでは、2019年10月から物価が上がると予想されるが、その物価上昇の反映は2020年4月分の年金額(実際には2020年5月に振込)から、かつ物価上昇の反映は3か月分に限られる(図表5)。残る9か月分の物価上昇の反映は、2021年4月分の年金額(実際には2021年5月に振込)からになる。
なお、2019年10月の消費税率引上げの財源を活用して、年金額が少ない高齢者等を対象にした「年金生活者支援給付金」が、恒久的な制度として始まる。【関連レポート】
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2019年1月18日に、2019年度の公的年金額が前年度と比べて+0.1%増額されることが発表された1。物価や賃金が上昇している中で小幅の伸びにとどまったが、どのように理解すれば良いのだろうか。本稿では、今回の年金額改定と、今後注目される消費税率の引上げと年金額改定の関係について、その意味するところを考える2。
■目次
1 ――― 小幅の増額改定になった理由:現役世代への配慮
1| 年金額改定の全体像:物価や賃金の変化への対応と、健全化のための調整との合算
2| 物価や賃金の変化への対応:現役世代に配慮して、物価上昇より小幅の改定
3| 年金財政健全化への対応:今年度分に加えて、前年度からの繰越し分も調整完了
2 ――― 行動経済学の観点からの注意:名目額は増えても、実質的には目減り
1| 行動経済学からの教訓:「貨幣錯覚」に要注意
2| メディアの対応:増加率の「抑制」で注意喚起
3 ――― 今後の注目点:2020年度と2021年度の年金額改定と消費税率引上げとの関係
1| 税率引上げ時期と年金額改定の関係:今年10月の引上げは2020~21年度の
改定に影響
2| 調整率の見通し:全被保険者(加入者)数は微増で、調整率は-0.2%程度
3| 年金改定と税率引上げの関係の見通し:2020~21年度の調整率は自然増の
内枠の見込み1|年金額改定の全体像:物価や賃金の変化への対応と、健全化のための調整との合算
現在の公的年金額の改定(毎年度の見直し)は、2つの要素から構成されている。1つ目は、物価や賃金の変化に対応して、年金額の価値を維持するための見直しである。これが年金額改定の本来的な意義である(以下では「本則の改定」と呼ぶ)。それに加えて、現在は年金財政を健全化している最中なので、年金財政健全化のための調整(いわゆるマクロ経済スライド)も加味される。以下では、この2つの仕組みの意味するところを順に見ていく。2|物価や賃金の変化への対応:現役世代に配慮して、物価上昇より小幅の改定
今回の年金額改定の基礎となる物価や賃金の変化は、物価が+1.0%、賃金が+0.6%であった3。このように物価と賃金がともに上昇し、かつ物価の伸びが賃金の伸びを上回っている場合は、本則の改定率に賃金の伸び率(賃金変動率)を使うルールになっている(図表2)。そのため、2019年度の本則の改定率は、賃金変動率と同じ+0.6%となった4。
この仕組みは、世代間のバランスへの配慮と理解できる。年金受給者の購買力を維持するためには、年金額は物価の伸びにあわせて見直されるべきである。しかし、現役世代の賃金が物価の伸びほどは増えていない状況で年金額を物価の伸びにあわせて見直すと、高齢世代が現役世代よりも相対的に有利になる。そこで、年金額の伸びを現役世代の賃金の伸びに揃えることで、賃金が物価の伸びほど増えない現役世代の苦しい状況を、高齢世代にも分かち合ってもらう形になっている。
3 年金額改定の基礎となる物価上昇率は「物価変動率」と呼ばれ、前年(暦年)の物価上昇率(消費者物価指数(総合)の上昇率)が使われる。賃金上昇率は「名目手取り賃金変動率」(もしくは短縮して賃金変動率)と呼ばれ、前述の物価変動率に、実質手取り賃金上昇率(2~4年度前の平均)を加味した値が使われる。なお、実質手取り賃金上昇率に使われる賃金は厚生年金の保険料や年金額の計算に使われる「標準報酬」で、最近話題になっている「毎月勤労統計」の結果は使われていない。
4 賃金の伸びが物価の伸びを上回っている場合は、新しく受け取り始める年金額(厳密には67歳以前)と受け取り始めた後の年金額(厳密には68歳以降)とで、本則の改定率が異なる。しかし、今回のように物価の伸びが賃金の伸びを上回っている場合は、両者に同じ値が使われる。
年金財政健全化のための調整(いわゆるマクロ経済スライド)は、少子高齢化に対応するものである5。2019年度分の調整率は-0.2%だが、2018年度から繰り越した未調整分-0.3%も加味された。その結果、調整後の改定率は、本則の改定率+0.6%から2つの調整分(-0.2%と-0.3%)を差し引いた、+0.1%になった(図表3)。
前年度までの未調整分の繰越しは昨年度から始まり、繰り越した未調整分が加味されるのは今年度が初めてである。2017年度までは未調整分が繰り越されていなかったため、年金財政の健全化が遅れる一因となっていた。今回は当年度分に加えて繰越し分も調整できたため、年金財政健全化に向けて昨年度の遅れを取り返した形になっている。
この仕組みも、前述した本則の改定と同様に、世代間のバランスへの配慮と理解できる。調整率(絶対値)が物価や賃金の変化率(本則の改定率)を上回った分が年金額の改定に反映されないのは、年金額が前年度割れになるのを避けるための特例で、高齢者の生活に配慮して設けられた仕組みである。しかし、未調整分を繰り越さずに年金財政の健全化が遅れると、将来の年金水準が低下する原因になる。そこで、未調整分を繰り越して物価や賃金の伸びが大きい際に精算することで、高齢者への配慮と現役世代への配慮のバランスをとっているのである6。
5 年金財政健全化のための調整率(マクロ経済スライドのスライド調整率)は、公的年金の全被保険者(加入者)数の増加率の実績(2~4年度前の平均)と、引退世代の平均余命の伸びを勘案して設定された一定率(-0.3%で固定)との合計です。各年度の全被保険者(加入者)数の増加率は、各月の前年同月比の年度平均が使われる。
6 本来は、未調整分を繰り越す現在の制度よりも、調整率と本則の改定率の大小関係に関係なく常に調整を実施する仕組み(マクロ経済スライドの常時完全適用)の方が、高齢世代にとっても望ましいと考えられる。現在の制度では、物価や賃金の伸びが大きい時に、当年度分と累積した繰越し分(いわば溜まったツケ)の両方の調整が行われるため、物価が大きく上がっている時に年金額が大幅に目減りして、生活が苦しくなる可能性がある。一方、常に調整する仕組みでは、未調整分が累積しないため(言い換えればツケが溜まらないため)、物価が大きく上がっている時でも現行制度よりも小幅な目減りで済む形になる。
2 ―― 行動経済学の観点からの注意
1|行動経済学からの教訓:「貨幣錯覚」に要注意
人間が物事を受け止めるときに気をつけなければいけないのが、錯覚である。普段の生活では、物の長さを判断するときなどに錯覚の問題がよく指摘されるが、お金の価値を判断するときにも錯覚がある。経済学と心理学を融合した行動経済学では、人間には「貨幣錯覚」と呼ばれる傾向があることが知られている。「貨幣錯覚」とは、「実質の価値(実質額)よりも名目の価値(名目額)に影響される」ことを指す。
今回の年金改定率は、4年ぶりのプラスになっている。そのため、2019年度分として銀行口座に振り込まれる年金の額は、前年度分よりも多くなる7。貨幣錯覚の傾向が強いと、この4年ぶりの増額に目を奪われてしまい、財布の紐が緩むかも知れない。しかし、今回の年金改定率は物価や賃金の伸びを下回っており、来年度の年金額は今年度より実質的に目減りする8。財布の紐を緩めるどころか、逆に引締める必要があるのだ。
7 なお、公的年金は2か月分の合計が奇数月の15日に振り込まれるため、2019年度分の最初の振込みは2019年5月15日になる。
8 厳密には翌年度の物価や賃金との対比で目減りを判断する必要があるが、ここでは簡略化して、年金額改定の基礎となる物価や賃金の変化との対比で述べている。
貨幣錯覚を考慮して、近年のメディアでは注意を促す表現が使われている。今回の改定では「0.1%増」という名目の増加率に、4年前の増額時と同様に、「抑制」などの言葉が併記してある。これにより、「増加だが、本来あるべき姿よりも低めになっている」というニュアンスが感じられる。1|税率引上げ時期と年金額改定の関係:今年10月の引上げは2020~21年度の改定に影響
年金額の改定では、物価変動率と賃金変動率のいずれにも、前年(暦年)平均の物価上昇率が影響する9。そのため、2019年10月に実施される消費税率の引上げは、2020年度の改定に2019年9~12月の3か月分、2021年度の改定に2020年1~9月の9か月分が、影響する。
弊社の経済見通し(2018年12月10日公表)では、消費税率の引上げに伴う物価上昇率(前年比)の上昇は+1%ポイント程度と見込んでいる。仮に+1%ポイントだとすると、2020年度の改定には+0.25%ポイント(=+1%×(3か月÷12か月))、2021年度の改定には+0.75%ポイント(=+1%×(9か月÷12か月))、影響する計算になる(図表5)。
9 p.2で述べた本則の改定率は、物価変動率と賃金変動率の大小関係などによって物価変動率と賃金変動率のどちらが採用されるかが変わる。しかし、本稿の脚注3に記載したとおり、賃金変動率の算定には物価変動率が反映されるため、物価変動率と賃金変動率のどちらが採用されても、物価変動率(前年(暦年)平均の物価上昇率)が影響すると言える。
物価変動率がプラスで賃金変動率がマイナスのケースは本則の改定率がゼロとなるため物価変動率が影響しないが、近年の賃金の動向や、消費税率の引上げが影響する期間では物価変動率が+1%以上になる見通しであることを踏まえれば、このケースになる可能性は低いと思われる。
このように、消費税率の引上げに伴う物価の上昇は2020~2021年度の年金額の改定に影響するが、最終的にどの程度影響するかは、年金額改定のもう1つの要素になっている年金財政健全化のための調整率(マクロ経済スライドのスライド調整率)の大きさによって決まる。
年金財政健全化のための調整率は、公的年金の全被保険者(加入者)数の増加率の実績(2~4年度前の平均)と、引退世代の平均余命の伸びを勘案して設定された一定率(-0.3%で固定)との合計である。公的年金の全被保険者数の増加率の推移を見ると、2009年度末(2010年3月)から減少率の縮小が続き、2016年度末(2017年3月)には増加に転じた(図表6)。この動きに連動して10、年金財政健全化のための調整率のマイナス幅も縮小を続け、今回(2019年度)の改定では-0.2%にとどまった。調整率は、全被保険者数の増加率に平均余命の伸び分の-0.3%を加えたものなので、今回(2019年度)の改定で用いられた全被保険者数の増加率(2015~2017年度の平均)は、逆算すれば+0.1%(=(-0.2%)-(-0.3%))だったことになる。
2018年度の被保険者数(共済以外)の増加率11は、±0.0%~+0.1%で推移している。そのため、2020~2021年度の全被保険者数の増加率(2~4年度前の平均)は+0.1%程度になると思われる。調整率は、これに平均余命の伸び分(-0.3%)を加え、-0.2%程度になると見込まれる。
10 年金財政健全化のための調整率を算出する際の被保険者数の増加率(2~4年度前の平均)は、図表6に示した年度末の増加率ではなく、年度平均(12か月の被保険者数の平均)の増加率が用いられる。
11 2018年度の各月については公務員共済等の動向が分からないため、共済以外の動向を確認。共済以外の被保険者数は公的年金全体の93%を安定的に占めているため、共済以外の被保険者数の増加率は全被保険者数の増加率とほぼ一致する。
最終的な年金額の改定率は、本則の改定率に、年金財政健全化のための調整率(マクロ経済スライドのスライド調整率)を加味したものである。消費税率引上げの影響を考えるためには、物価変動率(前年(暦年)平均の物価上昇率)と調整率との関係に着目する必要がある。
2020年度の改定では、消費税率引上げの影響は3か月分だけ物価変動率に反映する。弊社の経済見通しに基づけば、物価変動率は+1.0%になる見通しで、そのうち消費税率の引上げの影響を除く自然増が+0.75%分、消費税率の引上げの影響(3か月分)が+0.25%分となる(図表7)。一方、2020年度の調整率は-0.2%程度で、物価変動率のうち自然増分(+0.75%)の内枠になる計算である。調整率が自然増分の内枠ということは、調整率が消費税率の引上げの影響分にまでは食い込んでいないこと、言い換えれば、消費税率の引上げの影響分(+0.25%)は調整後の改定率(+0.8%)にきちんと反映されている、という意味である。2021年度の改定についても、調整率は-0.2%程度で、物価変動率のうち自然増分(+0.95%)の内枠になる計算で、消費税率の引上げの影響分(+0.75%)は調整後の改定率(+1.5%)にきちんと反映されていると言える。消費税率の引上げや物価上昇の際には、「年金生活だから大変」という主旨のインタビューを見かける印象がある。確かに、年金額の改定では前年の物価上昇率を基にするため、物価上昇分の反映が後付けになる12。また、年金財政健全化のための調整率(マクロ経済スライドのスライド調整率)や本則改定の特例があるため、物価上昇分のすべてが年金改定率に反映されるとは限らない。しかし、基本的には物価の変動に自動的に対応する仕組みになっており、賃金変動率の計算に直前年の物価上昇率を反映させるなどの工夫も見られる。現役世代の給与改定が会社の状況や意向に左右されることを考えれば、「年金生活者の方が大変」とは言い切れないと思われる。
12 例えば今回の消費税率引上げでは、2019年10月から物価が上がると予想されるが、その物価上昇の反映は2020年4月分の年金額(実際には2020年5月に振込)から、かつ物価上昇の反映は3か月分に限られる(図表5)。残る9か月分の物価上昇の反映は、2021年4月分の年金額(実際には2021年5月に振込)からになる。
なお、2019年10月の消費税率引上げの財源を活用して、年金額が少ない高齢者等を対象にした「年金生活者支援給付金」が、恒久的な制度として始まる。
2018年度の公的年金額は、なぜ据え置かれるのか?-年金額の改定ルールと年金財政への影響、見直し内容の確認
年金額の改定と「貨幣錯覚」-年金額改定のニュースを見る際に気をつけたいこと
2018~2020年度経済見通し-18年7-9月期GDP2次速報後改定
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